兵を分ける。この方針は最初に決まった。
 戦力的にレンスターは足りておらず、アルスターから増援を派遣するのは必要である。一方で、このアルスターを留守にするわけにもいかなかった。
 最大の曲者は、アルスターとコノートの中間にある森である。ここからはレンスターにも近く、伏兵には絶好のポイントである。全軍でレンスターの救援に向かえば留守になったアルスターが狙われる。救援を取りやめればレンスターが危機に陥る。
 よって兵を分けるしかないのだが、片方はレンスターに向かうのはいいとして、残り半分をどうするかである。
 本来ならばアルスターの防備に徹するべきである。城の守備力を加えれば留守居の戦力でも充分に守りきれるし、状況を見ながら動かすこともできる。
 しかし、今回はゆっくりとしていられる状況ではなかった。
 北トラキアの残り2城、コノートとマンスターをできるだけ早く解放しなければならないのである。もたもたしてトラキア王国の侵入を許せば戦況は混沌となり、解放が間に合わなかったセリスの名声に傷がつきかねない。
 となると、答えは進軍しかないのだ。留守を預かるべき半数の軍で伏兵が潜む森に飛び込んで潰し、そのままコノートを目指すと言う行軍がどうしても必要なのだ。

「恥ずかしながら我々の軍はまだまだ脆弱な上、半年前の敗戦で兵に苦手意識が芽生えています。厚めの増援を送っていただかねばブルーム王の本隊には太刀打ちできぬでしょう」
「俺も同じ意見だな。"a"はオイフェに頼みたい、奪回したばかりのレンスター城をまた落とされるわけにはいかん……どのみち、お前の部隊は足が速い騎兵だしな。"b"が不安になるが、奇襲にさえ気を払っていればさほど苦労はしないだろう」
「いえ、"b"の森こそが戦場の要、私がフリージ側ならばここに最強の部隊を配置します。軍を分けるならば、"b"の歩兵隊は私が直に指揮したいところです」

 アルスター城――
 広げられた地図、"a""b"とマーキングされたレンスター城と中央の森。
 今後の方針を確認するため、リーフ王子が来城していた。
 現在のところリーフ軍は解放軍と指揮系統が異なり、今も単独でレンスター城を守っている。解放軍への組み込みは北トラキアを解放して落ち着いてからとなっており、現状は彼等からの意見要望も汲みながら軍を進めなければならない。
 リーフ王子が軍師として連れて来たアウグスト司祭は、悪相を崩さないまま低姿勢でリーフ軍の窮状を伝えた。これにレヴィンが同調し、軍議はそう傾きつつあった。
 オイフェは"b"を指揮したいと主張していたが、実のところ本音は"a"なのである。
 レンスター城救援に向かった"a"の部隊は、押し寄せる敵軍を跳ね除けた後にコノートへ向かって進軍する予定である。このとき、"a"とリーフ軍の連合軍が結成されていることになり、指揮系統が混乱する恐れがある。
 勝利の可能性を強固にするためにはどちらが指揮権を有するのか明確にしておくべきである。もしオイフェが"a"を率いていればリーフ軍を指揮下に組み込むことが可能になる。リーフ軍がレヴィンの影響下にあるだろうと睨んでいるだけに、監視の意味も含めて目の届くところに置いておけるのは大きい。
 逆に言えば、レヴィンとリーフ軍が独自に動きたがっているのならばオイフェには"b"を率いてもらう方が都合がいいはずである。それどころか"a"の部隊を逆に取り込んで勢力強化するチャンスでもある。
 そう、この軍議では両者とも正反対のことを主張しているのである。
 レヴィンとアウグストが何を狙っているのかは分からないが、オイフェとしても素直に賛同するのはためらうところであった。渡りに船と飛びつけば真意を見抜かれる恐れがあるし、そもそもこれが何かの罠かもしれない。
 そもそも、このアウグストと名乗る怪しい人物がレヴィンとどう繋がっているのか。レヴィンがリーフ軍を影響下に置くのならば彼を通してのものだろうと推測できるが、彼はレヴィンの協力者なのか従属しているのか、はたまた単に親しいだけなのか……共に"a"を主張するのはただの偶然なのか何か示し合わせてのものなのか、後者ならばその意図は?――疑えば切りが無い。
 楽観的に考えれば、アウグストの言葉通りにリーフ軍は本当に苦しい状況にあり、レヴィンもここで何かアクションを起こすつもりはないということにある。彼等の主張は、単に戦に勝つためには"a"を重視すべきだと言う意見に過ぎないのかもしれない。
 これを猜疑の目で見るのならば、彼等はオイフェに"a"を率いさせたいのだ。オイフェをレンスター城に引き込んで何かをしたいのか、あるいはオイフェがいない"b"にこそ真なる目的があるのか。
 解放軍にとってオイフェの軍事指揮能力は不可欠である。足を引っ張る程度のことはしても、オイフェの死は解放軍の壊滅に繋がりかねないことはレヴィンも承知していることだろう。だから暗殺は考えられないのだが、それ以上に可能性が高い理由が思い当たらなかった。

 結局のところ、表面上はオイフェが押し切られる格好で軍議は終わり、部隊編成が決定した。オイフェは騎兵を率いてレンスター救援に向かい、セリスが残った歩兵を引き連れて森に潜む伏兵を撃滅することになった。
 探りの意味で反対してみたが真意は掴めなかった。とは言え、結果だけ見ればオイフェの狙い通りである。
 思い過ごしの可能性も考えれば満足の行く内容なのではないか。オイフェはそういう納得の仕方をするタイプの人間ではないのだが、抱えた問題が他にもあったために後回しにするしかなかった。
 その問題とは、歩兵部隊を率いるセリスである。解放軍の長はセリスであるが、彼がオイフェの手を離れて軍を指揮したことはない。隠れ里ティルナノグで勝手に挙兵してガネーシャ城を襲ったときもオイフェは居なかったが、これはレヴィンの差し金であるし、完全な奇襲だったあのときのケースと比べれば今回の敵は強大だ。
 セリスが討ち死にすれば解放軍は終わりである。軍を分けても勝てるぐらいに解放軍は強くなっているとは言え、指揮の乱れから壊滅する可能性もある。もちろん"a"を指揮している間にも情報が飛び込んで来るようにするし指示も出すつもりだが、オイフェが直接指揮できないのは大きい。
 何しろセリスの能力が未知数なのである。教育係でもあったオイフェの見立てではセリスは出来がいい方とは言えなかった。セリスが"次"を見据える王の資質を備えており軍の指揮には興味が無いと知った以降は評価を改めたのだが、今回ばかりは委ねざるを得ないのだ。正直なところ不安である。
 オイフェが側に居ないということは、セリスはレヴィンの影響下に置かれると言うことである。これもまた歓迎できないことではあるのだが、補佐役を欠くわけにはいかない。
 もしも"b"においてレヴィンが何かアクションを起こすつもりならば、リーフ軍はオイフェの監視下に置かれることを享受しなければならない。つまりオイフェの注意を惹く釣り餌ということになる。それが連携してのものなのか、無関係なのに利用されたのかは分からない。だがどちらにせよ、息子セティを北トラキアに送り込んでまでリーフ王子を支援してきた苦労に見合うだけのメリットがあるとは考えにくい。
 オイフェの脳裏に一抹の不安は残るが、危険視する具体的材料が無い。セリスの安全もあるし今回ばかりはレヴィンを信用するしかない。

 だがそのレヴィンは別室にて、やむを得ず信用してくれているオイフェを出し抜いたことを喜んでいた。
 軍議の結果は大成功と言っていいだろう。オイフェは上辺だけ反対していたが、それは本意ではないことはレヴィンは見抜いていた。リーフ軍を早く組み込みたがっているオイフェの本音が"a"なのは明らかなのだ。
 彼にとってオイフェが指揮する精強な騎兵がレンスター城に来てもらいたかったのだ。仮に"b"になったとして計画が瓦解するとは限らないのだが、最悪のケースになった場合の被害の大きさがまるで違う。解放軍そのものが崩壊してはレヴィンも困るのである。
 レヴィンにとってこの北トラキアは重要地点である。この地方の解放者が誰なのかで、リーフの名声とその後の軍の陣容は大きく変わる。リーフが解放者となりレンスター王家を復興させれば、北トラキアはリーフ軍の影響に収まる。もともとは4つの王国であったが圧制と内戦の傷痕から立ち直るためにはレンスターの旗の下に統合するしかないだろう。
 そうなればリーフ軍の規模は一気に拡大し、解放軍の中核を占める戦力となりうる。発言力の増加はセリスへの影響力の強化に繋がるしオイフェへの牽制にもなる。軍を指揮するオイフェの能力は高く評価しているし、勝ち続けてもらいたい。しかし最後の最後で成果を掻っ攫うためには色々と楔を打たなければならないのだ。
 一方で、この北トラキアにおいてリーフよりもセリスの名声の方が高くなってしまったらどうなるだろうか。祖国の解放という使命を背負って戦ってきたリーフを差し置いてセリスが解放者と称えられるようになれば……運命は決まったようなものである。
 イザークのシャナン王子が好例である。イザーク解放戦に参加できなかったばかりに、彼は王子でありながら祖国の解放者になれなかった。合流後は神剣バルムンクを手によく戦って勲功を積み上げてはくれているのだが、それでイザーク王家の権威が上昇するわけではなかった。セリスが帝国を打倒し新秩序を築いた場合、イザーク王国は復興したとしても新生グランベルの地方領主という感は拭えないだろう。イザーク王家という元の鞘に納まりはしても、その上にセリスという存在が居ることを強く認識したイザークの民はシャナンにどこまで純粋な忠誠心を誓えるのだろうか。
 グランベルと周辺国家は、対等の関係になるべきである。永世中立を通すつもりだったシレジアはグランベルとは上下関係を築きたくない。国力の差は仕方がないにしても精神的な属国に成り下がるつもりは毛頭無かった。
 セリスとドズル家の密約をレヴィンが勝手に破棄したのは、セリスをシレジアの解放者にさせないためであった。ドズル家を裏切り、南へと解放軍を向けさせたのは、シレジアを舞台としないためだ。シレジアはシレジア人の手で解放しなければならないのだ。
 ユリアをセリスに近付けさせて傀儡化させることはあまり進展していない。できるだけ側に居させるようにしているのだが、こればかりは本人の気持ち次第である。セリスはいずれ妃を選ばなければならないが、さすがに妹と結婚しろと勧めるわけにもいかない。本人同士の強い結びつきなら祝福もされるだろうが、押し付けられる格好はさすがに不味い。
 ただセリスとユリアの結婚は最高の結果であり、皮算用を弾いて満足するわけにもいかない。確かにセリスを傀儡化できればリーフ軍などに勢力を広げる必要は無いのだが、恋愛とはそれに全てを賭けられるほど読みやすいものではない。レヴィン自身、フュリーとシルヴィアの二人から選ぶ際には多くのドラマがあった。そんな経験から、いくら仲を取り持ったとしてもセリスがユリアを選ぶ保証はないし、選ばなかったとしてもショックではあっても運命を呪うまでするつもりはなかった。
 となればどうしても、セリスへの影響下に置くための次善の策を進めておかなければならない。リーフ軍を抱き込み、解放軍の中での発言力を強化するという手法に行き着くわけだ。
 そのためには今回の作戦は大きな意味を持つ。ここまでは狙い通りであり、このまま全て上手く行けば、一瞬のうちに北トラキアはリーフへの歓声で包まれるだろう。それはセリスを従えるための重要な足掛かりとなるのだ。

 そして当事者であるセリスは軍議中、そんな二人の目論みに気付くことなく隣の部屋でリーフ王子と何か話をしていた。一歳下であるリーフがセリスの肩をバンバン叩き、二人の笑い声が半開きの扉から漏れていた。
 セリスとリーフは初対面でありどちらも強い特徴の持ち主だが、意外にもすぐに意気投合したようである。父親同士が親友かつ義兄弟であり、セリスとリーフは従兄弟の関係に当たる。しかし相性がいい土台があったとは言え、通常の物差しでは計れないセリスがリーフと接触したらどんな反応が起こるか楽観視できるものではなかった。だがこの光景を見る限り一安心してもいいようである。
 オイフェとレヴィンの水面下の戦いを、セリスは意に介していなかった。まともに気付いていないのか、興味が無いのか……どちらにせよ、"今"の争いが"次"に影響を及ぼすということはまだないようだ。
 それは、次の火蓋が切られたときなのかもしれない。

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