「でも放っておけないよね」
 女を買えなくなったことによる膨れっ面から立ち直ったセリスが、地図を覗き込みながらそう言った。
 彼を支える2人の軍師は、よく似た台詞を違う意味で同意した。
「……確かに捨て置けんな」
「無視するわけにもいきませんね」

 状況はこうである。
 イード砂漠を越えた解放軍は自治都市"聖地"ダーナにて補給を整える予定であったが、領主ブラムセルは入城を拒否したのである。
 しかも始末に終えないことに、敵対ではなく中立不戦を掲げてのものだったため、解放軍はこれを呑まざるを得ないのだ。
 解放軍であるため、不戦を唱える相手を力攻めすることはできない。辺境においての火事場であれば有り得るかもしれないが、聖地でこれをやるのは無謀すぎる。20年前のイザーク遠征の発端が聖地略奪であったことは誰も忘れておらず、ロプト打倒を掲げるセリスが聖地を荒らすことは絶対にできない。
 だが、入れてくれないからと言ってこのまま進軍していいかと言うと微妙である。
 まず補給の問題。イード砂漠にあるロプト教の根拠地は叩き潰して通商の安全はだいたい確保したが、砂漠越えの行軍で補給線の安定は難しい。単純に砂漠越えだけでも難行為なのだから、妨害がないからと言って物資が普通に届くと期待するのは虫が良すぎる。
 だからダーナ入城拒否は痛手である。このまま北トラキアまで進めるだけの余力はあるが、そこで負ければ一敗地に塗れることになる。もともと敗戦が許されるような軍ではないためこの方が死に物狂いで戦えるという利点はあるにせよ、満足な力を出せずに敗れるのは避けたい。
 とは言え、ダーナ市に開城してもらうように粘り強く交渉するのも考えものである。
 友軍であるリーフ王子の軍は、マンスターに攻め込んだものの返り討ちに遭ったという報を受け取っている。防御に徹すれば時間は稼げるだろうが、それに期待するわけにいかない。
 解放区域を領土として管理運営するわけではないセリス軍にとって、土着の親密勢力は必要不可欠である。解放後に次の地を目指して離れるとき、支援を受け続けるためには一枚岩でいてもらわねばならない。その土地をまとめる者として亡国の王子と同盟を結んでおくのは大事なことなのだ。
 もしもリーフが討たれた後で北トラキアを解放した場合、住民は一応は歓迎してくれるだろう。だが宿敵であるトラキア王国に狙われることになる。帝国打倒を掲げる解放軍でも、領主になってしまった以上はトラキアの脅威に対して具体策を打ち出さねばならない。帝国を相手にするなら北トラキアに居座り続けるわけにも行かないし、かと言って対帝国の出兵は北トラキアを見捨てることと同じである。生半可な外交で抑え込める相手ではないのは分かりきっていることであり、同盟を結べたとしてもそう安易に留守にできない。残りはトラキア討伐しかないが、百年以上も守勢の北トラキアがそんな無謀な勇気に支援してくれるとも思えない。
 ゆえにリーフ王子には生存してもらわねばならない。短期間で国を纏めるためにはどうしても王は必要なのだ。

 進むも留まるも難しい状況において、セリス軍はどうすべきか。
 結論は進むしかないのだが、不戦中立を掲げたダーナ市を後背に置いて果たして大丈夫なのか。
 レヴィンの危惧はまさにそれであった。
「……確かに捨て置けんな」
 この意味は、ダーナ市をこのまま放置しておけば脅威になりかねないことを感じ取っている。
 固定の軍隊を持たない自治都市に過ぎないが、潤沢な資金で集めた傭兵は一国に匹敵する精鋭という噂もある。軍の性質上、遠征は無理だとしても背後から襲い掛かることぐらいできるだろう。
 この先にあるメルゲン地方は山脈により挟まれており、背後から襲われると対応は難しい。幅はあるにしても前後から迫る敵に対して挟み撃ちを避けることはできない。
 ダーナ市が帝国及びフリージ家と同盟を結んでいて、示し合わせて挟撃するために入城拒否しているのではないか――レヴィンはこう考えたのである。

「無視するわけにもいきませんね」
 一方でオイフェは、レヴィンの意見に頷きつつも、セリスの意図を汲んでいた。
 "次"を考えているセリスはダーナ市を放置するのは考えていないだろう。政治的にせよ軍事的にせよ、どこかで決着をつけなければならない。言い換えれば、味方になるにせよ敵になるにせよ、現在の中立状態から変更させなければならない。
 最も手っ取り早いのはこのまま進軍してメルゲンを攻撃することだ。敵対するつもりなら出兵せざるを得ないし、仮にギリギリまで静観するつもりだとしても解放軍優勢の報が届き続けば今度はダーナ市民が黙ってはいないだろう。
 軍事的な危険はあるが、オイフェは勝つ自信があった。イザークで鍛えに鍛えたセリス軍ならばダーナ軍に挟み撃ちにされる前にメルゲンを落とせると踏んだからだ。  シグルド軍の完成形に比べればまだまだ未熟な部分は多いが、この相手ならば負けやしない。後は慌てて出てきたダーナ軍を粉砕してダーナ市に乗り込むだけである。
 多少荒っぽいが、セリスが目指す"次"のためには軍事的勝利で決着をつけたいところである。


「でも放っておけないよね」
 だが、セリスのこの台詞の真意について、オイフェは図りきれなかった。
 大陸全版図を軍事面で塗り潰すのは、今の勝ち方である。しかし"次"を見ているセリスにとって、ダーナを放置できない理由が別にあった。
 オイフェはセリスが見ている"次"のために今を戦っている。
 だがオイフェはセリスに何が見えているのか分からないまま、セリスの望み通りの結果をもたらさなければならなかった。
 読み違えているかどうかはセリスは何も言わない。オイフェがやっていることが合っているのか逸れているのか、今の段階では興味を示さないからだ。
 この認識のずれが後々に表面化してくるのかもしれないが、その兆候はオイフェには分からなかったしセリスは気に留めもしていなかった。

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