北トラキア王国、アルスター城――。

「まだか! まだリーフは討ち取れんのか!」
 王であるブルームは焦っていた。
 旧レンスター王国の遺児であるリーフ王子の挙兵を許し、あろうことかレンスター城の奪取を許した。祖国の解放という現物的な目標が達成されたことは政治的に大きな痛手である。
 その後の野戦で打ち破りはしたものの、リーフ個人はまだ捕捉できていなかった。おそらく城下の街並みか近隣の森に姿を隠したと思われるが、目星は付いても実際に討伐できるかとなると話は別である。
 まず、一度は解放に成功したことでレンスター市民が一気に非協力的になっている点。これまでリーフ王子の生存については願望が入り混じった噂レベルでしかなかったが、現実に姿を現したことでレンスター市民に火がついている。これを鎮めるのは並大抵のことではない。どう考えてもリーフ本人を処刑することで黙らせるしかなく、対応策としては完全な手順前後である。
 討伐軍はレンスター城を獲り返したものの、ここの防衛に兵を割きつつ治安維持をしつつ、なおかつリーフを討つのは難事業である。市民による嫌がらせレベルの妨害工作は、実害こそ出ていなくとも士気を奪うには充分であった。
「セリスの解放軍はどこまで来ている!?」
 もう一つのブルームの悩みの種は、北から砂漠を渡って来ているセリスであった。
 リーフにとって、セリスと合流するまで凌ぎ切れば事実上の勝ちである。しかも13年に渡って逃亡生活を続けていたのだから身を隠すノウハウは豊富にある。今は一定規模の軍を抱えてはいるので目に付くところに居るが、本気で隠れられたら短期間で見つけ出すのは困難になる。
 一方でブルームから見れば、どちらも無視できない存在である。
 リーフ討伐に躍起になっているうちにセリス軍に雪崩れ込まれるわけにも行かないし、セリスに気を配っていて足元を疎かにするわけにもいかない。
 軍の規模から考えればセリス軍を打ち破れればリーフに再興の目は消えるだろうが、だからと言って対セリスに全力を尽くせるわけでもない。迎え撃つ立場である以上、地盤が堅いか緩んでいるかは重要である。リーフ軍はもう寡兵と侮っていて補給線でも切られれば洒落では済まない。
 結局、ブルームはどうしても兵を分割せねばならず、各個撃破される危険性に焦りながらもこのまま押し進めるしかなかったのである。

 ニ分割したとて、まだフリージ軍の方がそれぞれ兵力は上である。
 単純計算で言えばそこまで怯える必要はないのだが、それぞれが抱える実情も考慮すると、ブルームの憂いは物事をよく見ている――となってしまう。
 まず、セリス軍は勢いが違う。
 イザークを解放し、乗りに乗って北トラキアに侵入して来る。遠征の疲れとか補給線とか抱える問題はあるのだろうが、こと正面からの決戦においては絶対的な強さを誇ったシグルド軍の遺児たちである。士気の差から考えてもフリージ軍は厳しい戦いを強いられるのではないか。
 またリーフ軍も一筋縄ではいかない。
 兵力こそは大きく目減りしたものの、少数の兵によるゲリラ戦は彼らの真骨頂である。大きな軍にとって小さな相手と言うのは意外にも対処しにくい。ましてや今回は地の利が向こうへ大きく傾いており、手が届きそうなところに居ながらも討つのは難しい相手と言えよう。

 そして、何よりも不安なのが昨今のフリージ軍の脆さである。
 そもそも、挙兵したリーフを叩き潰せなかった時点で脆弱さを露呈したようなものである。セリスの場合はある程度の勝算があったからであろうが、リーフの場合は潜伏場所まで突き止めておきながら討ち漏らし、その後いったん捕らえたにも関わらず脱出され、トラキア軍の上に皇太子ユリウスまで介入してくれながらこの体たらくである。
 巡り巡ってレンスター城は陥落し、北トラキアにおけるロプト教の根拠地まで叩き潰される始末である、これはもうリーフ軍の強さと言うよりかはフリージ軍が弱いとしか言いようがなかった。その後、野戦では大勝利を収めたものの、ブルーム自ら率いる軍が精強なのは当たり前の話であり、フリージ軍の平均レベルを語るものではない。
 強い兵は、強い将の下に集まる。
 フリージ軍の脆弱さをこの理由で説明付けるならば、フリージ家が臣民からも周囲の諸勢力からも帝国中枢からも完全に舐められているからであろう。
 現状、雷魔法トールハンマーを使うのはブルームである。歴代の宰相を輩出してきた家柄にしては珍しく勇将の面持ちがあったブルームは、昔は勇名を馳せたものである。
 ところが、王となって第一線を退き次代の継承者が年頃になると、周囲の評価はそちらの方ばかり目を向けられて、ブルームの優秀さは霞んでしまったのだ。最近ではそれに慣れてしまったのかあるいは年齢によるものなのか、ブルーム本人も今ひとつ精彩を欠いており悪い方向に転がるばかりであった。
 ではその問題となっている次代の継承者、ブルームの血を受け継いだ双子、イシュトー王子とイシュタル王女。この二人がまたとんでもない食わせ物なのであった。

 まずイシュトー王子。
 一般的に神器は長子が継承するものでありながら、兄であるにも関わらず雷魔法トールハンマーの継承者ではないという血統上の大失態を犯して生まれてきたのである。
 双子については先後どちらを長子とするかは議論が分かれるところであり、神器継承のシステムは身籠ったときなのか生まれ出たときなのか明確でない以上はどちらとも取れる。
 とは言うものの、やはりイメージ的に良くはなく、妹イシュタルへの良くない評価に引っ張られる格好で貧乏くじを引かされている。
 現在はメルゲンの守備についておりセリス軍を迎え撃つ立場にある。ここでセリスを討ち取れば一気にのし上がれると功名心に燃えていると噂されており、功を焦って自滅するかどうかも含めて周囲の注目を集めているところである。

 一方でトールハンマーを受け継いだ妹イシュタルは、何よりも皇太子ユリウスの愛人であることが第一の評価として挙げざるを得ない。
 容姿・社交性・血統、どれを取っても帝国宮廷では随一を誇り、ユリウスと結ばれて将来の皇妃となることについては誰も口の挟みようはなかった。確かに一人の女性としては完璧であり、これ以上の人物はいないに違いない。
 そんなわけでユリウスとイシュタルは帝国内において既に公認の仲であるわけだが、暖かく見守る視線が向けられているわけではなかった。
 皇太子ユリウスは、とかく奔放な人物である。
 苦楽を共にした相手もいるであろう皇帝アルヴィスと違い、ユリウスは生まれながらして帝王である。臣下に対して、臣下以上に距離感を取っていた。言ってしまえば、自分が神になったかのような、そんな振る舞い方である。
 とは言うものの、神位である十二聖戦士の末裔であるからあながち間違いではなく、皇太子であるユリウスに対して陰ながらでも非難するわけには行かない。
 ましてやロプト教徒と太いパイプで繋がっているユリウスであるから、彼を神格化してしまうと暗黒神ロプトウスの生まれ変わりではないかと言う噂を認めてしまうことになる。事実がどちらであれ、自分がそれを認めるかどうかは精神衛生上において重要な問題である。よって、周囲の者からユリウスがそう見えたとしても口にするのは躊躇わざるを得ないのだ。
 そのため、代わりに捌け口にされるのが、ユリウスの側にいるイシュタルになるわけである。
 イシュタル本人は女性としての美しさが抜きん出ている一方で、一介の戦士としても非常に優秀であった。王女でありながら進んで戦場に飛び込むことも多く、場合によっては父ブルームが持っているトールハンマーを勝手に借り受けて単独で出陣することもしばしばあるらしい。
 将来の皇妃に強さが必要かとなるとそういうわけではないが、十二聖戦士の末裔としては戦場に出る出ないに関わらず一定の強さが求められるのは仕方がないことだろう。よってプラス評価となる……はずなのであるが、そうもいかないのが人間の評価というものである。
 神のように振舞うユリウスの側にいて、神の如き強さを発揮する絶世の美女。手放しでは賞賛できない雰囲気があった。イシュタルが"雷神"と呼ばれるようになったのは、彼女個人を認めつつもユリウスの側にいることへの皮肉が混じっていたからに他ならない。ユリウスが起こす些末なトラブルに伴う怨嗟の声はいったんイシュタルに向けられ、遠ざける評価になりつつある彼女への怖れにも触れてさらに違うところに飛ぶ――現状で、この二人には手のつけようがなかった。強いて言えば叱責できるのは皇帝アルヴィスだけなのであろうが、シアルフィ城に移ってから沈黙したまま野放しの状態である。

 さて、イシュタルからさらに飛んだ嘆きは、遠く北トラキアに居るブルームの評価に繋がることになる。
 新王朝になって日が浅いグランベル帝国の貴族達にとって、次世代の王子達が聡明かどうかは気になるところである。帝室もさることながら、問題児を抱えるフリージ家への評価が下がるのは当然の結果であった。
 12年前にリーフ王子の刺客(実際はレィムの刺客)に暗殺されかけ、そして挙兵されて祖国を解放された。一方で領地経営も芳しくなく、子供狩りの成績ばかりがいい。
 どう見ても、イシュタルを通して帝国中枢に媚を売っているようにしか映らないのである。
 実際には外交上のパイプ作りを重視するのは父レプトールも含めてフリージ家の伝統なのであるが、武人であるブルームはその辺の誤魔化し方がどうにも下手であった。后ヒルダは政治能力について特に秀でていたものの、強い影響力を誇る社交界からの宮廷工作に手間を割かれたせいで、ブルームとの連携が完全ではなかった。挙句にユリウスは好奇心が強いのか様々なところに出没するので、フォローしきれるものでもなかった。

 そんなわけで、ブルーム以下フリージ家の評価は軒並み低いのである。そしてフリージ軍にはこれを特に表すエピソードがある。
 フリージ家始祖である聖戦士トード、その再来と呼ばれた人物はフリージ家の者ではなかったのである。
 その人物、イシュタルの副官だった若い将軍は、フリージ家と縁もゆかりも全く無いというわけではない。だが、聖戦士には神器と聖痕の継承という具体的システムがある以上、直系ではない彼に期待が集まった時点で間違いである。
 この点で、人々がいかにフリージ家に失望しているかが分かるというものである。

 ブルーム本人、世論の風はだいたい分かっている。
 だが悪魔の血を抱えているフリージ家にとって、イシュトーが継承者ではない理由など全てを明らかに出来ない事情がある。誤解だと分かっていてもそれを解くことが出来ないのである。
 とは言うものの、甘んじて受け入れる余裕があるかと言えば状況は苦しい。フリージ家にとって、イシュタルがユリウスの后になれるかどうかは一大プロジェクトであり、これが見捨てられようものなら本気で没落しかねない。なじられようとも宮廷工作は続けるしかない。
 となると、最後はやはりセリスとリーフを討ち取って多大な功績を積み上げるしか残っていないのだ。
「……」
 リーフへの対応は小出しに兵を送り込むことで釘付けにし、本軍は基本的にセリスに向けるべきだろう。
 そのためにはメルゲンでイシュトーがどこまで踏ん張れるか、ダーナ市との外交連携がどこまで力を発揮するか。今から動いてもは後手ではあるのは分かっているが、やらないわけにはいかない。
 メルゲンでの決戦――蘇る15年前の記憶、絶対的劣勢からの逆転劇。相手は違えど、今回もまた厳しい状況から開始するのはほぼ間違いない。
 フリージ家の運命を切り開いたこの地で、それは再現されるのか。
 あるいは、開いた扉は閉じられてしまうものものなのか――。

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