セリスの反応には、オイフェもレヴィンも驚いた。
 まさかそんなことを言い出すとは思ってもみなかったからである。
 髪や瞳の色こそは父親のを受け継いだが、全体的な顔立ちは母親似である。端的に言えば女顔なわけだが、それ以前にシグルドの子であるセリスが女を抱きたいと言い出すとは考えにくかったからだ。
 普通に考えれば、セリスは18歳を数える。健康的な男子としては女性に興味を抱いても何らおかしくない。
 だがその一般的な考え方とは外れた位置にいるのがセリスであり、打診されたオイフェとレヴィンはそれぞれ対応に悩むことになった。
 何しろ、互いに相談するという選択肢がない。
 基本的路線では意見が一致している両名であるが、実際にはセリスを手放すまいと見えない糸の綱引きを続けている二人である。そんな状態で相手にセリスの意図を尋ねるということは、セリスが自分の影響下にないと白状するようなものである。
 よって、何としてでも自力で解決策を捻り出すしかないのであった。

 オイフェにとって、セリスが女の経験を積むのは決して悪いことではない。
 帝王学において、女を見る目というのは非常に重要である。
 特にセリスの場合、帝国を打倒して新たな王となる予定である。その王妃が浪費家だったり残虐だったりすれば新王国において多くの問題が発生する。また王妃の親類、つまり外戚がのさばってくる危険性にも気を配らねばならない。とかく難しいのである。
 父シグルドの場合、政治的な都合でディアドラ以外の選択肢がなかった。だがグランベル王国の王位継承権を持っているセリスは自力で王となれるわけで、条件的には誰でも后になれる。
 解放軍の指揮官にはセリスと同年代の娘が多いが、欲望が暴発して彼女らと下手に関係を結んでしまうと後々でややこしくなる。ガス抜きの意味と女を知る意味ではダーナの高級娼婦は適役だろう。
 だが、それと同時にリスクも大きい。
 まず、ダーナ市は自治都市とは言え帝国の勢力圏内であること。
 解放軍の兵士には律儀に商売したとしても、セリス個人に対してはどうだろうか。暗殺とまでは行かずとも何かしら情報が帝国に漏れる可能性はある。
 ロプト教打倒の大義から聖地ダーナを参拝する政治的意図もある以上、そこで女を買ったという変な醜聞が尾ひれにつくのも考え物である。ましてや特別な性癖があるなどと噂を立てられては目も当てられない。セリスは"光の皇子"という抽象的な名声で成り立っている存在である以上、具体的印象で傷をつけられるのは避けたいところであるのだ。
 あと、女を知ったセリスがどう変化するのか全く予想がつかないのも躊躇させる理由になった。
 どこに根拠があるのか不明だが次代の王となるのを確信しているセリスであるから大丈夫だとは思われるが、どう転ぶか分からないのが女の魔力というものである。もしかしたら娼婦に骨抜きにされてしまうか、あるいは手を取り合って姿を消してしまうかもしれない。まずありえない事には違いないが、無いと断言できないのが恋路の難しさであろう。
 オイフェは三十路に入ってもまだ独身であった。シアルフィ一門の大貴族としてはあまり考えられないことである。イザーク隠匿でそんな余裕はあまり無かったのかもしれないが、やはりそれでも少し不自然であった。
 彼の場合、初恋の女性に対する印象が強すぎて今ひとつ本気になれないのも、女について正確な考察ができない一端であろう。
 とは言え、実際のところセリスにどんな影響を与えるのか、いくら悩んだとて不確定要素でしかない。それこそ神のみぞ知ることであれば、オイフェが関知するべきことではないだろう。

 一方で、レヴィンにとってはさらに難題であった。
 同じ不確定要素であってもそれがどう転ぶかをよりデリケートに考えているのはレヴィンの方であったからだ。
 オイフェの場合、新王国の屋台骨を揺らさない限りはセリスの后が誰になっても構わない一面がある。しかしレヴィンにとっては、相手が限られてしまうのである。
 国を失い無気力となったレヴィンを救ったのは、手駒として手に入ったユリアである。
 帝国皇女であり聖者ヘイムの聖痕を持ちセリスの妹であるユリアの後見人がレヴィンならば、シレジアはセリスに対し影響力を持つことになる。セリスによる帝国打倒を成功させる一方で、この影響力をいかにして固定化するか、そしてでき得るならばどこまで増大して具現化できるかがレヴィンの戦いである。
 ところが、セリスが王妃を立てれば、ユリアを通してのレヴィンの影響力はその分だけ目減りすることになる。
 とは言えセリスに結婚するなとまでは言えない。王となるのであれば世継ぎを作るのは当然の義務であるから、后を立てるのを阻止するのは筋が通らない。つまり影響力の損失そのものは避けることができないのは承知の上であり、これをいかに最小限に抑えられるかがレヴィンにとって重大な問題となる。
 最大の障害は外戚である。影響力の損失が王妃個人のみであればまだ良いが、王妃に長い紐がついているならばその分も計上しなければならない。ましてや世継ぎが誕生すれば紐の先に結ばれている人物の影響力が肥大化するわけだから、レヴィンにとっては大事になる。
 ユリアがグランベルに強い影響力を持つことができるのは、セリスの妹というよりも光魔法ナーガを受け継ぐグランベル王国バーハラ家直系の姫君だからである。この威光を軽んじるような不届き者が外戚となった場合、泥沼の政治闘争に陥ることになりかねない。例えば、ユリアをバーハラ家の姫君として敬うのではなく、打倒された帝国の皇女として非難するようだとレヴィンは困るのである。ナーガの威光で抑え込めるだろうとは思われるが、そういう一面性そのものを否定できないからだ。
 そのため、ナーガを畏れるグランベルとは縁の薄い、地方の王侯貴族から選ぶのは避けてもらいたいのがレヴィンの本音である。
 現状で解放軍を支援しようとする貴族も多いが、それは投資の意味もあるだろう。将来的な野心を持っている者にとって王妃の座は最高の儲け話である。こんな連中の子女を后に選ばれてはレヴィンはたまったものではない。積極的な売り込みもあるだろうから特に気をつけねばならないだろう。
 半端な貴族ではなく、公女・王女クラスではどうか。
 多くの王族が参加していたシグルド軍、その遺児たちが多く参戦しているこの解放軍。当然、亡国の王族が多い。
 セリスが帝国を打倒すれば、彼らは滅ぼされた旧王国を復興するだろう。となればセリスの后となった王女の国は帝国中枢と太いパイプができることになる。
 となると新グランベル王国はその国の王位継承権を持つことになるわけで、将来的にはグランベルに吸収される可能性も秘めることになる。一見してセリスには覇者タイプの野心はあまりなさそうには思えるのだが、グランベル人の都合で振り回されて国を失ったレヴィンにとってグランベル式の外交は一種のトラウマであり、強硬な領土併呑の危険性は捨て切れなかった。
 シレジアの場合、レヴィンの娘であるフィー王女も解放軍に参加しているが、セリスに対しては特に積極的ではないようだ。これが幸いなのか残念なのかは将来的な運命なのでどうとも言えない。少なくとも、現状でフィーに期待するのは難しく、やはりユリアを使うしかないということだ。
 とはいえ、レヴィンが満足できるほどユリアがセリスに干渉してくれるかとなると確証は無い。
 ユリアは育ての親であるレヴィンに対し従順だが、熱心に従っているわけではない。血筋のせいかどこか浮世離れした彼女には他人に対する執着があまり見られず、セリスに自分の意見を通させるような事をどこまでやってくれるか少し不安である。
 理想としては、セリスの方からユリアの意見を求めるような関係が望ましい。そのためにはまず后及び外戚が政治政略面で無知不干渉であること、あるいはセリスと后が不仲であることが要求される。セリスは后を選べる立場だから後者は考えにくいとして、前者が成り立つ条件としては市井の女が挙げられる。かつてディアドラの夫の座を巡ってシグルドとアルヴィスがしのぎを削ったのは、王位継承権を持つディアドラに政治担当能力が無かったからである。彼女の場合は外戚となるような親は現存しておらず、身元引受人だった精霊の森は事情が分からず追放したせいもあって干渉に乗り遅れたので駆逐された。
 セリスの后についてはそこまで都合良くはいかないだろうが、親子揃って一般市民であれば政治の世界に踏み込むことはないのだから、セリスは慎ましい后に意見を求めることはできない。そのお鉢は妹であるユリアに回ってくることになる。
 ただし、単純に政治に無知であればいいわけではない。何も分からないのであれば、その后に影響力を持つことで利権を得ようと近づいて来る者は必ずいるだろう。その者から后を通して来る可能性は十分に考えられる。
 つまり、レヴィンにとってセリスの理想の后とは、政治に無知な市井の生まれで、なおかつ他所からの干渉を撥ね退けるだけの強固な意志と慎ましさを兼ね備えた女ということになる。

 もしレヴィンが未来のグランベル王妃を用意することができれば、レヴィンはユリアのみならず后にも影響力を持つことになる。このメリットは非常に魅力的である。
 だがそんな女が都合良く存在して、なおかつセリスと知り合うことがあって、さらにセリスが后に選ぶ可能性はどれだけあるだろうか。
 まず、ユグドラル大陸には星の数ほど女がいる。そしてその大多数が市井の女である。この中から探し出すこと自体がいきなり至難である。何しろローカル過ぎてレヴィンの耳には届かないからだ。
 解放軍の立場上、行軍路に点在する村には兵を送って鎮撫させているが、いちいち全員をチェックする余裕などない。とは言え、村一番の美人で器量良しと評判な娘を差し出させたら傍目には略奪と同義であるから解放軍にできるわけがない。これが貴族の女であれば自然と評判を聞くことはあるけれども、それは貴族という身分そのものが希少だからである。
 仮に存在したとして、レヴィンの耳に入ったとして、どうやってセリスと引き合わせるか。
 単純に連れて来るのはやりたくない。光の皇子は少なからず憧れの対象であるから、女は積極的に望むかもしれない。しかし当人の意思を除けばセリスが市井の女を食い散らかしたようにも映るだろう。これでセリスの名声に傷がつけば、近臣は再発防止に努めるだろうからセリスに女を近付けるのはかなり難しくなる。
「ダーナに居ればいいが」
 チャンスがあるとすれば、セリスが散策を熱望しているダーナ市であろう。ここなら知り合う機会があってもおかしくない。セリスの行くところを先回りしておけば高い確率で引き合わせることはできる。
 あとは時間の問題である。幸いにもレヴィンは部隊指揮官ではないので行動の自由は利く。今、軍中から姿を消したとしてもこの理由が看破される可能性は皆無だろう。女のストックが無いから探しに行った、とは思いつきようがないからである。
 とは言え、これに賭けるのは考えものである。
 そう都合良く見つかるとも限らないし、時間制限もある。上手く用意できてもセリスが想定外の行動に出るかもしれない。
 そして何より、いくら美人で器量良しでもセリスの好みに合わなかったら何の意味も無い。
「セリスの、好み……?」
 女性への執着が薄かった(ように見えた)セリスは、これまで女性の話はほとんどしていなかった。だから、セリスがどんなタイプの女が好みなのか知る由も無かった。
 レヴィンによる選定は、あくまでもレヴィンの好みでもある。自分の好みは関係がないと分かっていても、無意識のうちに含んでしまうのが個人による評価というものである。ましてやセリスの好みが分からないのであれば頼れるものは自分の知覚しかない。一通り揃えてセリスに選ばせるわけにもいかないからだ。
 こんなことならば、セリスが妓楼に行きたがったときにどんな女が好みなのか聞いておくべきだった。需要に対して適切なサービスを提供する意味で、尋ねるのに自然な格好だからだ。
 とは言え、今から聞くと負担も増える。
 流れに乗っての問いならともかく、いったん解散した後で改めて尋ねれば、セリスはそういう娼婦を用意してくれると期待するだろう。つまりレヴィンは同じタイプの娼婦と市井の女の二人を用意する必要に迫られる。
 それだけならばまだいいが、両方用意できた場合、レヴィンが特に薦めたい市井の女にセリスが興味を示してくれるかとなると甚だ怪しい。似たような女が二人並んでいてどちらと一夜の夢を見たいかとなると、容姿・体型・話術・技術等諸々から考えても娼婦を選ぶのは当たり前である。そういう女を知った後で1ランク落ちる市井の女に好意を抱くようなことがあるだろうか?
 つまり、セリスに女の好みを聞くのは自分の首を絞めるようなものである。まさか娼婦を后に据えるわけにもいかない。
 よってレヴィンはセリスの好みを見切った上で一発勝負に出なければならない。
「……」
 セリスには女性の経験がないだろうし、レヴィン自身がセリスに詳しいわけではない。
 だから父親であるシグルドからヒントを得ようとしたが、これもまた難題であった。
 シグルドはシアルフィ家の野心の都合上、ディアドラ以外を選べなかった。つまり彼は好みで女を選んでいないのである。
「……!」
 しかし、かと言ってシグルドにはディアドラ以外に女を求めた形跡もなかった。
 確かにディアドラとの間に早く子をもうけたいのもあっただろうが、セリスが生まれてからもディアドラが拉致された後も他の女には手を出していない。
 単に律儀なのか、あるいは野心の成就に忠実なのか。あるいは……。
「ユリア、ユリアー!」
 レヴィンは、紅潮気味に自分の養女を呼び寄せた。
 仮に、シグルドの好みがディアドラそのものだった場合、セリスにも受け継がれている可能性が高い。
 セリスとユリアは母親を同じにする兄妹である、だがそれは決して大きな問題ではない。
 現にユリアの両親であるアルヴィスとディアドラは血族結婚であるから、ユリア自身には兄と結婚することに大きな抵抗はないだろう。
 いろいろと問題は抱えることになるだろうが、新王朝のシステム的に言ってもセリスとユリアが結婚する意味は大きい。
 まず、セリスは帝国とロプト教を打倒して玉座に登る。ここまではいいのだが、王国の象徴として光魔法ナーガが君臨できないのは屋台骨としては少し痛い。
 ユリアはセリスの妹ではあるが、皇帝アルヴィスの娘たる帝国皇女ユリアの方が色濃い。このままではユリアを立てることはできないのでいったんセリスと同一化させ、生まれてきた二人の子にティルフィングとナーガを持たせる。つまり聖剣を掲げる覇者としての国王と、光によって世界を照らす巫女という性格付けを用意できれば新王国は磐石となるに違いない。
 そしてレヴィンは王妃の養父であるため、新グランベルに対してより直接的な影響力を持つことになる。

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