イード砂漠某所――。
「いったい、どこで貧乏くじを引いたんだ……」
 熱光を受け入れる長い黒髪を呪いながら岩場を登るたびに境遇を嘆く、時代に取り残された哀れな聖戦士がいた。
 彼は、決して愚鈍ではなかった。だが不幸なことにあらゆる面で周囲の誰かに劣っており、また不運なことにそれが最大限に強調された運命を背負わされることになった。

 彼の名はシャナン。
 剣聖オードの血を引く聖戦士にして、旧イザーク王国の王子である。
 20年前に失われた神剣バルムンクを探して放浪中であった。

 大陸広しと言えども、彼ほど報われない人生を送っている人物はそうそういないだろう。
 幼い少年の頃に国を失い、大陸の反対側にまで流浪した。そこでシグルド軍に出会い、客人として迎えられて転々とするもついに勝利を得ることはできず、イザーク王国復興は成らなかった。
 挙句、長い雌伏を経てイザーク地方を解放した軍の中に、彼の姿は何故かなかったのである。匿っていたセリス王子が独断で兵を起こし、イザークの王となるはずのシャナンを差し置いて勝手に解放してしまったのである。
 本来ならば、セリスの挙兵はシャナンが戻って来てからの話であった。イザークの国宝であるバルムンクを携えてシャナンが兵を起こせば、全イザークの民が立ち上がり熱狂的に迎えてくれたことだろう。
 ところが、バルムンクがイード砂漠に埋もれていることを突き止めた頃にセリス挙兵の報が届いた。手順前後になった行動について、自分はどうすべきかシャナンは真剣に悩んだ。
 出した答えは、バルムンク捜索を中止しての解放軍参加である。
 神器が無くとも結果を出す自信はあったし、何よりイザーク王子たる自分がいなければ話にならないからである。
 彼の判断は真っ当なものだったのだが、夜遅くに解放軍幕舎に辿り着くと、冷たい出迎えが待っていた。

 セリス「あれ? 『バルムンクを取り戻すまで帰って来ない』んじゃなかったの?」
オイフェ「ロプト教と繋がっている帝国を打倒するためには、聖戦士の神器が不可欠です。目の前のイザーク解放に拘らず大局を見てください」
レヴィン「男なら、一度立てた目標は何があっても成し遂げろ。些細なことで簡単に翻していたらアイラに叱られるぞ」

 こんなことを言われたらたまったものではない。
 シャナンは、幕舎で泊まることすらできず泣く泣く引き返すことになった。
 イザーク王子である彼にとって祖国の解放は目の前の出来事でも些細な事でもないのだが、解放軍中枢の3人の反対にあっては言い返しようも無かった。
 実のところ、オイフェとレヴィンが対立していることを知っていれば対応の方法もあったのだが、最終目標のために裏をかきあっている二人はレールが分かれるまでは非常に意見が合致することになっていたのには気付かなかった。

 仕方なく、バルムンク捜索に戻ったシャナン。
 その寂しそうな背中を見て哀れに思ったのか、セリスは腕利きの盗賊を雇ってシャナンにつけてやることを確約した。
 シャナンは、基本的に善人である。
 セリスが、"次"のためにはシャナンにイザークを解放されては困ると考えている、などとは微塵も疑っていなかった。冷たい仕打ちは確かに堪えたが筋が通っていないわけでもなかったから疑いきれなかったのである。
 だが、甘んじて受け止めるほどプライドがないわけでも無条件な善人でもなかった。

「えー、もう帰りたいー。お腹すいたし、汗も拭きたいー!」
「はいはいはい、デイジーちゃんもうちょっとガマンしてねー。……あぁはいはい、いい子いい子」
「……」
 ところが蓋を開けてみればこれがとんでもない食わせ物だった。
 コノートのヒットマン"アサエロ"と言えば、裏社会では著名な暗殺者である。その妹が盗賊でバルムンク捜索に助力してくれると聞けば力強く感じるのは当たり前だろう。
 女性であることには何の抵抗も無かった。シャナンにとって大陸最強の剣士は叔母にあたるアイラであり、その遺児であるスカサハとラクチェについても、どちらも末恐ろしい素質を感じさせるがラクチェの方がより強くなると見ていた。つまり、本来ならば稀有な例であったが戦場において女性が男性よりも有能であることについて疑問を抱かなかったわけである。
 アサエロの妹はデイジーと名乗り、彼女は相方と称して同年代の少女を同伴していた。
 この時点で、気にはなったのである。どこからどう見ても腕利きに見えない少女たちはただの足手まといではないのかと考えはしたのである。
 悩んだ結果やはり捨て切れなかったのは、彼の寂しさにあったのだろう。アイラを失って久しいシャナンにとって、心の拠り所になりそうな相手がいなかったのだ。
 盟友であるはずのセリスは何を考えているのか分からず、シグルド軍では同年代で仲が良かったオイフェは師匠のシグルドに似てきたのか冷たくなったし、アイラの忘れ形見であるラクチェにいたっては「バルムンクは私が持つべき」とナメられまくっている。
 イザークの王子であり、大陸では珍しい神秘的な黒い長髪と整った顔立ち。しかしそれが評価されることは今までほとんどなかった。だからデイジーやパティのような若い女の子からチヤホヤされたのが単純に嬉しかった。
 多少の役立たずであっても、自分が護ってやろう――そういう考え方が生まれたのは、彼が大人になったからであろうか、それとも男の性というものだろうか。とにかく、シャナンはリスクを背負い込むことを納得した上で同伴させたのである。
「すんすん、お仕事ちゃんと終わったのに……」
「ほらほら、宝物庫に女の人の石像があったでしょ、きっとシャナン様ってあれが見たいのよ。綺麗な人だったでしょ?」
「ちゃんとポーズして石になってた人ぉ? えー、シャナンさまって石フェチ? でもくーそーとげんじつはちゃんと区別しないとダメだってお兄ちゃん言ってたよ?」
「……」
 盗賊として向いている点を強いて挙げるとしたら、この、傍にいるだけで気が抜けてしまう能天気さのダブルパンチであろう。
 もしもこれが、気が緩んでいる隙を狙って仕事を遂げるための演技だったとしたら、誰も見抜けない恐ろしい技術だ。
 現にイード砂漠のロプト神殿に潜入して神剣バルムンクを盗み出してくると言う難業に成功したのだから、信じ難いが決して嘘とは言い切れない。
 かつてシグルド軍には、子供にしか見えなかったデューが大きな仕事を果たしていたため、可能性の面で言えば信憑性はゼロではなかった。
 だが今回に限っては何かの偶然が重なっただけだと、どこか信じたくない部分がシャナンにはあった。適当な難癖をつけてセリスに突っ返さないと、最後まで付き纏われそうな気がしてならなかったからである。

 シャナンにとって、旅の目的はバルムンクの奪還であった。
 それが叶ったのだから、解放軍に戻っても問題はなかった。
 しかしあえてロプト神殿への斬り込みを敢行する気になったのは、イザークを自力で解放できなかったことによる焦りのせいだった。

 シャナンは、セリスを軽く見ていた。
 シグルドの子であるセリスを大事にしなければならないのは分かっていた。しかし幼い頃のシャナンがシグルドの保護下にあったように、イザークの地でセリスを匿ってきたのは王子たるシャナンなのである。
 立場的にはシャナンがセリスに跪かねばならない理由などないはずなのだ。
 ところが、シャナンがバルムンクを求めて留守にした隙を狙って解放軍が旗揚げされ、シャナンは居場所を失った。この状態から神剣バルムンクを携えて戻ったとしても、彼そのものに解放軍に貢献した武勲になるわけではない。
 もちろんバルムンクがあれば活躍の場はいくらでもあるのだろうが、いったん帰参すればその時点で上下関係が確立されてしまう。そこからひっくり返すのは容易ではないし、軍中の騒動は士気に関わる。
 つまり、シャナンにとってどれだけの武勲を抱えて帰参するかが大事となり、ロプト神殿制圧の功績は大である。
 解放軍は表向き、帝国とロプト教の圧制に対抗するものだから、その拠点であるロプト神殿を潰したのは政治的にも大きな意味がある。これはセリスはもちろんオイフェやレヴィンも無視できないはずである。

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