レンスター城――
「誰がテメェのクソ話なんざ聞かないといけねェんだ、ああ?」
 オイフェ指揮の元、解放軍はフリージ軍を次々と打ち破り、ブルーム王が立て籠もるアルスター城を包囲する一方でレンスター城を奪回した。
 それを受けて近郊の森に潜伏していたリーフ王子の一派も入城し、北トラキアの地で両軍は合流を果たしたのである。
「この城最初ッからは俺様のモンだ、テメェらはアルスターにでも宿を探すんだな」
 かつてはレンスター王が所有していた玉座にふてぶてしく座り、組んだ足の先をしゃくって最大の功労者に退出を命じた。
「礼を失するにも程があるぞ……! いや、オイフェ殿は解放軍を率いてレンスターを解放してくれたのです、その振る舞いは幾らなんでも……」
 玉座の脇に控えていたフィンが、自分の主君、そしてレンスター王家最大の問題児に噛み付く。
 事情をよく知っている者ならばこの後は壮絶な罵り合いに突入するのだが、今回はオイフェの目の前であり身内の恥を進んで晒すのもさすがに考えものである。耐え難きをギリギリの線で何とか踏みとどまり、臣下らしく接しようと務めている。しかしリーフの父キュアンと当時のフィンのような主従関係ではないらしいことは隠しようもなかった。
「はっ……しからば殿下、アルスター攻めは我らにお任せあれ」
 オイフェはこの一件に深く関わらなかった。
 歓迎と感謝と祝勝の宴どころか一夜の宿も与えず出撃せよというリーフの性根もたいがいなものだが、セリスの代理として軍を預かるオイフェとしては指揮権を侵害されないで済めば上等である。
 軍の規模から考えればセリス軍がリーフ軍を吸収する形になるのは反論しようがないところである。だがその軍の指揮権とまでなると単純な話にはならない。この場にセリスが居ればリーフとの上下関係は容易く確定したかもしれないが、セリス不在で代理のオイフェではそこまで言えるものではない、臣下の枠内に居るオイフェがレンスター王子を指揮するのはそうそう成り立つことではない。
 しかし今後の帝国軍との戦いを考えれば指揮系統の一本化は必要不可欠である、釘を刺さないわけにもいかなかった。いくらセリス不在だからとはいえ事前にその意思を見せておかなければ不測の事態に対応できない。アルスター攻略はさほど手間がかからないと見込んでいるが、何が起こるか分からないのが戦場である。ましてや、"セリス待ち"で棚上げしたままにすればオイフェが全権を代理する意味がなく、今後の指揮に不自由が生じるかもしれない。特にレヴィンに口実を与えるのは避けたいところだ。
 元々はここで躓くことも考えてレンスターに立ち寄ってリーフと会見することは後にしておくつもりだったが、アルスターを包囲した時点で気が変わり、自らレンスター解放を行うことにした。彼等を知っておかなければレヴィンに遅れを取りかねないからだ。

 シグルド軍は、各個バラバラな事情を勝利によってのみ解決するように仕向けたことで一枚岩となった。解放軍はこのリーフたちを包括することができるだろうか? 個人のロマンスはさて置くとしても、歪な主従関係のまま解放軍に迎えても大きな不都合は出ないだろうか。
 この軍の強さは、指揮官の命令通りに動いてくれなければ成り立たない。オイフェの指揮能力はシグルドのそれに匹敵するほどにまで成長しているが、軍の統括という面ではまだまだ甘い。レヴィンと反目していたり、今またフィンと衝突しかかっている。部隊を率いているわけではないレヴィンはまだいいとしても、フィンや彼の影響を受けるリーフ軍を思い通りに動かせるのだろうか。
 組織の頂点にあったシグルドとは異なり、オイフェはあくまでも軍の指揮全権を任されている代行者に過ぎない。たとえ神輿であっても頂点はセリスでありオイフェはそれと違って臣下の立場である、仮にも一国の王子が率いるリーフ軍を掌握するのには弊害がある。
 普通の連合軍であれば、リーフ軍全体が解放軍に参加し、解放軍の中にレンスター王国軍が参加していると言う二重組織になる。
 しかしこのセリス軍、ひいてはシグルド軍の場合、リーフが率いる部隊とフィンが率いる部隊はそれぞれ独立していなければならず、並列の関係でなければならない。連携度の観点から彼等が固まって戦うのは構わないにせよ、オイフェからリーフ、オイフェからフィンのように直接の指揮命令権が発動できなければ戦場で完勝できなくなる。二重構造の場合、オイフェからリーフを通してフィンに伝達されるわけで、オイフェからフィンの部隊を思い通りに直接動かすことは出来なくなるからだ。
 つまり、リーフ軍が解放軍に参加するにせよ、丸々組み込まれる格好では不充分なのだ。
 よって、これからのアルスター攻略、並びに北トラキア解放戦ではそれを見据えた戦い方や勝ち方が重要になってくる――が、戦闘で勝つのなら本分だが、それ以外の分野では確固たる自信が無い。
 解放軍はセリスを頂点として、軍事面をオイフェ、政略面をレヴィンに分けている感がある。レヴィンがユリアを連れて解放軍に参加するまではオイフェが両方を見ていたわけだが、軍の規模が大きくなり戦闘も激しくなってくればそこまで手が回らなくなってくる。一方のレヴィンは早くから息子であるセティを北トラキアに送り込むなど手腕を発揮しオイフェに差をつけている。
 リーフ軍の編入が一筋縄でいかないことはレヴィンも知っているだろうし、眼の付け所でもあろう。ましてやここは彼等の祖国レンスターであり、彼等を巡っての綱引きの展開次第では戦況にも影響が出てくるかもしれない。オイフェもレヴィンも勝利のためには足の引っ張り合いまではしたくないところだが、勝利を失わない程度に足を引っ張ることはあってもおかしくない。
 リーフは突っ撥ねたが、代わりにアルスター攻略に干渉しないという言質は取った。レンスターに残るリーフの軍とは並列した格好になるが、今後の戦いの規模から言えば彼等が自力で勝ち抜くことは厳しい。彼等はレンスター解放後、調子に乗ってアルスターに攻め込んだが惨敗を喫したという苦い実績を残しているため、セリス軍がアルスターを攻略すれば上下関係を感じずにはいられなくなるだろう。アルスター攻めに下手に参加して功績を挙げられるよりかは言質を取った上で指をくわえて見てもらっている方がむしろ都合がいい。

 ただ、オイフェにとってリーフの性格だけは少し意外であった。
 リーフの父キュアンはレンスター王太子であり、若くして地槍ゲイボルグを受け継ぐ使い手だった。
 グランベルの士官学校に留学中にシグルドと出会い意気投合、その妹エスリンを妻に迎えるとシアルフィ家と親密関係になる。後に"大内戦"ではいち早くシアルフィ家と連合し、時には個人でシグルド軍に参加し、最後にはレンスター王国から騎士団を引き連れて参戦しようとした。
 周辺諸国に多大な影響を及ぼしているグランベル王国での内戦となると、その趨勢によっては自国の危機に繋がるかもしれないため迂闊には介入できないはずである。もしもそれが失敗に終われば事態の収拾後にグランベルからの報復があるのは目に見えているからだ。
 そういう状況だと分かっていながら、しかも国家反逆罪で賊とされたシアルフィ家にここまで堂々と助力できたのは彼の肝の据わり方ゆえだろう。そもそもシグルドと親友の間柄という時点でとんでもない胆力と才能の持ち主とも言えるが。
 その子であるから、リーフも一筋縄ではいかないだろうとは思っていた。
 継承者ではないにせよノヴァとバルドの血を受け継ぐプリンスには底知れぬ潜在能力を期待してもおかしくはないだろう。現実に厳しい状況を勝ち抜いてここまで戦ってきたのだから。
 だがあの傲慢で粗雑で品位に欠ける振る舞いはどうだろうか。彼の不敵さはキュアンから受け継いだものと言われればそうかもしれない。しかしどういう教育と環境を持ってすればああなってしまうのだろうか。
 祖国を追われ、暗い逃亡と潜伏の生活を強いられてきたのはセリスと同じである。確かに密かにドズル家と結び安穏な毎日を送っていたセリスとは違い、リーフはそれこそ毎日が死地であったろう。礼法と気品が宮廷で培われるものであるとすれば、リーフの環境は戦場とほぼ等しい。
 そう考えればおかしくはないのだが、ずっと守ってきたはずのフィンがあそこまで敵対心を剥き出しにしているのは何故だろうか。十五年も共にいた仲のはずだが、最初からああも険悪だったのだろうか。

「……」
「……?」
 去り際、オイフェは一人の少女と目が合った。
 微かに首を傾げ微笑を返したその顔は、面影から母親が誰であったのか瞬時に分かった。彼女の名はナンナ、そして母親の名はラケシスであろう。
 ナンナは王としての立場とは疎遠となった環境で育ったせいかあの覇気は受け継がれなかったようだが、醸し出す優雅な気品は損なわれていなかったようである。もし彼女が戦場に立てば、あのときとはまた違った雰囲気で兵士は奮い立つだろう。シグルドはラケシスの覇気を中心に据えた布陣を好んだが、解放軍もまたナンナを象徴とすることになるのだろうか。
 それにしても――美しい。
 三十路を迎えてなお独身であるオイフェが妻を迎えなかった理由、その一つはラケシスの存在が強く焼きついていたからだった。"ティータイム"の一員として、オイフェの主かつ師であるシグルドに真っ向から覇気をぶつけ続けてきたラケシスの横顔が、書記官として側にいたオイフェにとって眩しく映らないはずはなかった。シグルドがディアドラをあまり表に出さなかったせいもあり、オイフェにとってラケシスは最も身近で見てきた女性なのだ。
 だが、麗しき女性には言い寄る男もまた多い。
 そのうちの一人がフィンである。キュアンの従卒でしかなかったフィンがラケシスとどういう出会い方をしたのかは謎のままだが、二人の仲についてはシグルド軍の一部でも噂になったほどである。
 当時のオイフェにとって、フィンはシャナンとデューの次に歳が近かったわけだが、恋のライバルということもあり仲は悪かった。シグルドが"ティータイム"にキュアンを呼ばなかったのは政略的な多角的才能を評価していなかったのか、あるいは最終的には部外者となるであろうという予測に基づいてのものだったようだが、フィンにとってはキュアンを口実にラケシスと近づく機会が増えないわけであり書記官としていつも同席していたオイフェが羨ましかったに違いない。
 そんなわけでシグルド軍を知る唯一の戦友の再会でありながら、オイフェとフィンはお互いに親しみを感じさせることはなかった。リーフの態度がオイフェにさほど問題視されなかったのも、やや冷たい雰囲気な場だったからかもしれない。
 もしかしたら――
 ここからはオイフェの推測である……が、核心を突いている可能性も強かった。
 リーフとフィンの間が険悪なのは、ラケシスの忘れ形見であるナンナを巡ってのものではないだろうか……?

 様々な憶測を胸にオイフェが退室すると、残った玉座ではリーフとフィンの激しい罵倒の応酬が繰り広げられていた。
 扉の向こうに消えたオイフェにも聞こえているだろうと分かっていながら止めに入ろうとしないアウグストと、騒がしい光景を微笑ましく見つめるナンナ、王家の行く末を憂う側近たち……。
 立場が変われば事情も異なる。
 セリスやオイフェたちが抱えているものと比べれば非常に小さく、そして不自然に平和なものであった。

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