リボー城陥落! ダナン王戦死!
 遠いイザークの地から届けられた急報について、グランベル帝国に一定の驚きがあったのは確かである。
 しかし、20年前にリボー族が聖地を略奪したときと比較すると、挙げられた討伐の声はあまりに小さかった。
「ロプトを崇めぬ者に天罰が下されたのだ!」
 グラン暦776年現在、帝国の実権を握っていたのは、ユリウス皇子と強い結びつきがあるロプト教会であった。
 そのロプト教会は権勢を大陸全土に浸透させるため、政治と宗教の二方面から各地に根を伸ばしていた。しかしイザーク王ダナンとは不仲の関係にあり、ダナン王は彼らのイザーク地方への進出を拒否し続けてきていた。
 阻まれた側のロプト教会にとっては苦々しいことこの上なく、「今に天罰が下るぞ」と負け惜しみを吐き捨てたことは何度もあったろう。実際に暗黒神ロプトウスが何かしたわけではないにせよ、実際にダナンが横死したと聞かされればロプトの偉大さを口にして爽快感を露にするのも無理はないだろう。
 つまり、ダナンの死とイザークの喪失は利害的にも精神的にも痛手ではなかったのだ。
 確かにセリスの旗揚げは決して看過できるものではない。しかし、だからと言ってそれがイザーク遠征の理由となるほど大きなものかとなると話は別である。
 軍事に疎いロプト教徒でも、イード砂漠越えの遠征は厳しいものだというぐらい分かる。ましてや大軍団を仕立てての遠征など10年以上もご無沙汰である。しかも当時の指揮官たちは揃って皇帝派だったため、粛清済みか存命でも地方に追いやられている。これでは気軽に遠征などできるわけがない。

「マンフロイ、20年前のダーナの略奪は4個軍団も出すものだったのか?」
 そんな中、皇太子ユリウスだけは不機嫌かつ不可思議だった。
 暗黒神ロプトウスとしては、敵対者であるダナンの死は歓迎すべき事件である。自らの手で罰を下せなかったのは少しばかり残念ではあったが、惜しむほどではない。
 一方で、グランベル帝国皇太子ユリウスとしては、討伐の声を挙げない臣下たちに腹を立てていた。彼らはロプトの神子としてのユリウスのもとに集まってきたのだから、ロプトウスの建前が優先されるのはやむを得ないかもしれない。しかし、あまりに先を見なさ過ぎる彼らには失望さえ感じていた。無論、そんな連中に叱咤したとしても今さら建設的な意見が出てくるはずもないとは半ば諦めているのだが。
 少なくとも、自治都市ひとつが略奪されたからと言って4個軍団も派遣した当時のグランベル王国と比べて、はるかに事情が重い割りに対応が軽すぎている。
「あの時はバイロンが闇を動かし、他の諸侯が乗らざるを得なかった故……」
 大司教はそう答えた。
 
 六公爵時代、王党派と反王党派と中立派が2:2:2で分かれて対立していた。この状況下において、イザークへの遠征となると偏りを出すわけにはいかなかった。
 最終的にイザーク占領まで計画していたグランベルは、建前において略奪者征伐を高らかに宣言するため、威光の意味で王太子クルト自らが指揮を執ることが最初に決まっていた。
 となると、クルト王子と親密な王党派と、対立している反王党派。このどちらが遠征に参加しても不都合が生じかねなかったので選考は非常に難航した。王党派で固めればクルト王子と謀議を重ね、残留している反王党派の立場が知らないうちに悪くなる可能性がある。かと言って反王党派を派遣すればクルト王子が遠いイザークの地で孤立することになる。どちらも危険すぎた。何も起こらないという前提にしたとしても、対立相手に功を立てさせたくなかった。
 でき得ることならば、中立派のエッダ家とヴェルトマー家を起用できれば万事うまく収まるのだが、両家ともに遠征できそうな機動戦力を有していなかった。よって王党派と反王党派が同数を派遣することが暗黙のうちに決まったのだ。
 では遠征軍団数は1:1か2:2か。計2個軍団であってもイザーク王国軍に負けるような心配はなかった。勇猛なソードマスターを多く抱えるイザークではあったが、集団戦闘における運用法を考えればグランベルにとってそこまで脅威ではない。加えて、イザーク王マナナンが和平を望んでいるという情報もあり、政略面で揺さぶる隙もある。とにかく負ける心配はなかった。
 でありながら2:2になったのは、グランベルの本意がイザーク軍を破ることになかったからであった。聖地とはいえ自治都市ひとつの略奪だけで、ましてや一部族の勝手な行動によるものである、これでイザークを征服する根拠にするにはさすがに弱かった。この勇み足の部分をいかに手早く片付けるかを重要視したグランベル中枢は、余力を残して勝つために4個軍団を派遣することを選んだのである。
 加えて、遠征先で王党派と反王党派との間で何かしらトラブルが発生する可能性がある。1:1よりも2:2の方がリスクの回避にもなるし互いの抑止力にもなる。
 ――最終的には、グランベル本国を手薄にさせてヴェルダン王国を呼び込み、シグルドを進発させてディアドラ奪取を目論んでいたバイロンの思惑に嵌った格好になる。
 それでも、どんな理由があったにせよ、リボー族のダーナ襲撃が4個軍団派遣のきっかけになったのは間違いない。
 野心は、良くも悪くも行動力の源である。六公爵は互いが互いの野心を警戒し牽制しあう関係にあったから、大勢力同士で奇妙な同調が生まれて意見の統一を促進する効果があった。

 大内戦を経て、帝政を敷き、その皇帝を放逐したバーハラには、もはやそれだけの活力が残っていなかった。
 絶対的な権力を握ったユリウスと、ロプト教徒で固められた近臣たち。良くも悪くも纏まりすぎていた。
 当時の六公爵のうち、ヴェルトマー家は皇室を兼ねているので動きようがない。シアルフィ家とエッダ家は事実上の断絶。フリージ家は北トラキアの王を兼ねていて半ば不在。ドズル家は太子ブリアンが敵討ちで息巻いているものの、イザークを失ってやはり単独で行かせるだけの規模ではない。ユングヴィ家はスコピオが2歳で家督を継いだため領地管理権が預かられ皇帝保護区となり、近年スコピオの成長に伴いようやく権利が返還されたばかりで、遠征軍を出すだけの余力などあるはずもなかった。
 結局のところ、20年前に大軍団を仕立てた六公爵家は事実上形骸化していたと言っても過言ではなかった。当時の権力システムが優れていたというわけではないが、ユリウスを核としたロプト教の躍進による中央集権の徹底は、軍事面での実動力である皇帝派の弱体化を招くことになったのだ。アグストリアなどに派遣されている軍も含めれば戦力規模そのものは当時よりも大きく躍進しているにも関わらず、その効率的な運用についてが完全に失われてしまっていたのだ。
 イザーク地方を奪取したセリスを無視しておくわけにもいかない。彼の旗揚げは大陸中の反乱勢力に影響を与えるのは間違いなく、その対応に追われればセリスが打つ次の一手に対し後手を踏むことになる。
「……いくら権力を握ったとしても、根っこは父上の手のひらの上か」
 ユリウスの心のうち皇太子としての人格は、イザーク遠征を望んでいた。
 もしも父である皇帝アルヴィスがバーハラに君臨していたら、大規模な遠征軍が編成されたであろう。想像に過ぎなく根拠などないが、アルヴィスを除いたユリウスでさえそう思えるのだから、実際に起こってもそうなる可能性は高い。
 しかしユリウスがイザーク遠征を宣言したとしても、父と同じ結果にはなりはしないだろう。確かに命令権は自分にあるし、軍には命令に従う義務がある。しかし軍隊とは人によって構成されているものであり、人を動かすものは命令ではない。実権を握ってはいても所詮は皇帝代理人に過ぎないユリウスは、皇帝派である軍隊に対して潜在的影響力が小さく、アルヴィスのような"皇帝の威光"がないために軍に魂を吹き込めないのである。強行すれば惨敗するのは目に見えている。
 理屈では分かっていても、暗黒神の部分はこれを容認できなかった。いかにアルヴィスが父であれ覡であれ皇帝であっても、神が人の後塵を拝するわけにはいかなかった。ロプトウスであることをカミングアウトしていない現況では神として君臨していないわけだからやむを得ないのだが、やはり面白くないことこの上なかった。
「"子供狩り"を強化しろ。次代のロプトの民をもっと集めるのだ」
「ははっ……!」
 ユリウスにとって優先すべきは、皇帝派が大半を占める帝国軍の現況を打破することであった。逆に言えば、皇帝の威を借りなければ満足に動かすことができないユリウスには子飼いの軍を作る必要があった。いくら十二魔将のような側近を作っても、所詮はユリウスの護衛程度にしかならず軍隊にはほど遠い。
 権力のピラミッドにおいて、頂点の威光はその高さだけではなく、底辺の長さで決まる。十二魔将はユリウスが計画するロプト帝国の頂点を占める人材たちだが、その下がまだまだ足りない。
 そもそも、この計画は今は亡きあるロプト教徒が立てたものである。人の序列を数字で管理することで絶対的かつ普遍的な世界を作ろうとする計画は、とにかく数が必要であった。
 アインス(1)からツヴェルフ(12)までの名を付けられた十二魔将を筆頭に、この数をどこまで連ねることができるのか。フンデルト(100)、タウゼント(1000)を経て、ロプトウス=ユリウスを頂点とした軍隊が皇帝派のそれを凌駕するまで、拡大し続けなければならない。
 そのためには、さらなる子供狩りを行わなければならない。ロプトの教義を刷り込むのであれば、華奢であっても純粋な子供の方が易しいし将来性も高い。セリスの旗揚げで反乱勢力が強硬に出るだろうこの時期にさらに行うのは得策ではない。だがこのままではセリスに対して有効な手が打てないのもまた然りなのだ。もちろん、非常措置として皇帝に全権を返上する選択肢などないのは言うまでもない。
 
 グラン暦776年、イザークを失った帝国に動揺は見られなかった。
 しかしそれは対応に苦しんだ末の静観であり、かつての栄華も強さも虚勢に過ぎなかった。
 セリスを旗頭とした解放軍は、悠々と次の地を狙い始めた……トラキアである。

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