弟ジャムカは知らない。口にする事すら許されない真実を。
第一王子ガンドルフは、それを伝えずに出撃してしまった事に微弱な後悔を覚えていた。

ジャムカは実は弟ではない。ジャムカの父親は聡明で武芸に秀で、芸術にも造詣が深い、将来を嘱望された本当の第一王子。ジャムカは、まだ少年であった頃のガンドルフにとって、尊敬と憧れの対象だった兄の忘れ形見である。
……当時、父王バトゥは更なる飛躍を願って、この優れた長男をグランベル王国へ留学させた。
大きな病を患った事はないが、賢王バトゥは高齢であった。息子が帰国した暁には王位を譲る腹積もりだったのだろう。
だが、留学予定期間が経過して帰国したのは、彼の成長した姿ではなく訃報であった。
そんな馬鹿な、と言う声が占める中、バトゥ王は密かに調査を命じた。
訃報は事実だった。だが、調査結果の報告を受けたバトゥ王は事実である事に対する落胆よりも、その死因への驚愕が上回った。
表向きは事故死と言う事であったが、真実は刑死と言っても差し支えないものであったからである。
留学先の学校で一つの事件が起きた。構内の教会で奉仕していた若いシスターが、何者かに陵辱された上に殺されたのである。
犯人を特定する証拠となるものは何一つ見つからなかった。しかし学校に籍を置く者は、その日からヴェルダンからの留学生を猜疑心に満ちた目で見るようになった。
証拠は何一つ無かった。ただ、その様な蛮行を働く人間の心当たりが共通していただけだった。これに異を唱える者はいなかった。それどころか、声を上げて賛同する者も多かった。
彼に与えられたのは形ばかりの釈明の場であった。同時に裁きの場でもあった。
勿論、証拠があっての処刑ではなかった為、公式には刑死ではなく事故死とされたのである。事故死と言う名目である以上、首と胴が生き別れた彼の遺体は、故郷の地に帰る事はないであろう。
バトゥ王は肩を落とすより先に調査の続行を命じた。報告の中にあった、行方不明である彼の遺児の保護である。
孤立無援の彼であったが、唯一人、彼の支えとなっていた女性がいた。その女性もまた、密かに彼の種を産み落としていた咎で毒を仰がされたと言う。
第一王子の子であるから、男子であれば王位継承権の第一位を持つ子である。懸命の捜索が続けられた。
ジャムカと名付けられていた遺児は、幸運にもバーハラ城内の教会に預けられていて、無事に保護された。
王都ヴェルダンで遺児と対面した父王バトゥは、自分の頬を伝い、絨毯を濡らして行く涙を止める事が出来なかった。皮肉にも故人に生き写しだったからである……

「……み、水を汲んで参ります」
兵士が踵を返し、大湖の方へと走って行く。
無様だな……ガンドルフは両手両足を投げ出し、背中を樹木に預けたまま動けない自分に対して舌打ちしたくなったが、それすら叶わない。
どうやら、夢を見ていたようだ。
精霊の森北端での戦いにおいて、ガンドルフは愛用の斧の柄が疲労で折れるまで振るい続けた。その様はまさに獅子奮迅の働きと呼べるものであったが、率いて来た軍勢は壊滅の憂き目を見た。
そしてガンドルフ自身も得物を失った隙を狙われて重傷を負ってしまった。何とか血路を開き森の中に逃げ込んだ所で足が動かなくなった。共に脱出した兵士の肩を借り、背もたれになりそうな樹木を見つけて座り込んだ所で意識が遠くなった。
そのまま眠り込んで夢を見てしまったのだろうか。
……父王バトゥは、調査結果を元にグランベル王国に対して抗議する事はしなかった。当時まだ少年であったガンドルフには、ただ耐える事しかしない父の姿は臆病だと映った。
その父の判断が、余りにも凄惨な英断であった事に気が付いたのは、強くて優しかった兄が犯人に仕立て上げられた理由を知った時だった。

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