ユングヴィ公領北部。
二人の少年を乗せた馬が南に向かって駆けている。
「良い天気だな、アゼル」
「知らないよ! それより急いで!」
疾走する馬から振り落とされぬ様、女性の様に細い腕を騎手の胴に回してしがみ付いたまま、恐怖で首すら動かせない状態にも関わらず、さらに急がせる。
レックスとアゼル。それぞれグランベル六公爵家の一つ、ドズル家とヴェルトマー家の公子である。だが嫡子でないにせよ、公子である以上は単騎での参戦があるはずがない。現に両家にも援軍を請う使者が訪れている。
だが、二人とも兵を率いて来なかった。両家とも主力がイザークへ遠征中であるが、だからと言って公子を単騎で参戦させる事など容認できない筈である。
「それよりお前、大丈夫か? 顔色悪いぞ」
「レックス! そんな事言ってる暇があったら!」
このただでさえ戦いが似合いそうにもない華奢なアゼルが、何故こうして一兵も引き連れずに馬酔いと戦いながら単身で参戦する気なのか。
実際、王都バーハラの近衛軍指揮官である異母兄、ヴェルトマー公アルヴィスはユングヴィへの救援軍を編成に取り掛かっていたのだが、アゼルはその迅速な出撃準備が整うのですら待ちきれずに単身飛び出したのである。
ただ、魔法戦士ファラの血を受け継ぐヴェルトマー家の生まれであるがため、アゼルは実戦的な馬術には縁が無い。道を急ぐためには、足を調達する必要があった。
結果、アゼルは通り道であったドズル城に立ち寄った。こんな頼みを聞いてくれるのはレックスしかいないから。
アゼルにして見れば無理な申し出のつもりであったが、意外にもレックスは即答で承諾した。
その理由は、一つはこの弟みたいな親友が、ユングヴィ救援を焦る理由に心当たりがあり、その為に一肌脱ぐ気になったと言う事。
そしてもう一つ。ドズル家の公子と言うエリートであるレックスは、それを自負ともしていたのだが、権謀術数が渦巻く貴族社会そのものは好きになれなかったと言う事。
アゼルの誘いは正直有り難かった。
父ランゴバルド、兄ダナンは共に遠征中で不在。舞い込んで来たユングヴィ救援と言う大義名分。
これを機会にレックスは言わば家出を決行したのである。
だから、レックスもまた軍勢を引き連れていないのである。
陽が没すれば帰らねばならない遠乗りとは違う。
ユングヴィと言う一応の目的地はあるが、実際には当ての無い旅のようなものだ。
気分が高揚しているのが分かる。
レックスは手綱を打って、愛馬の速度を更に上げる。
斧騎士団グラオリッターを擁するドズル家の生まれであるレックスにとって、アゼルには恐怖の世界である速度でも、周りの景色を鑑賞する余裕があった。
「おいアゼル! あれ見ろ!」
「見れないよ!」
アゼルにはそんな余裕など無い。ただでさえ恐怖の余り泣き出しそうになるのを、自分の持つ想いで勇気を奮い立たせて堪えるのが精一杯だと言うのに。
本人に聞こえるような大きな舌打ちと共に、レックスは手綱を引いた。
「レックス! 何で止まるの! 急がなきゃ!」
「馬鹿! あれを見ろ!」
父親譲りの大声で叫ぶレックスが指差した先には、炎と煙によって赤と黒に彩られた集落があった。
「燃えて……る?」
単なる火事ではない。逆流の気配を見せる胃液と焦りが体内を渦巻いて、分析どころではない状態のアゼルにもそれぐらいの事は分かった。
レックスには何が起こっているのか理解できた。焼き討ちである。ヴェルダン侵入の混乱を狙った賊の仕業だろうか。
「レックス! あれ!」
完全に賊であろう。斧を手にした男達が無抵抗の民を追い回しているのが見えたからである。
「アゼル! 助けるぞ!」
「うん!」
アゼルは早急にユングヴィに向かわねばならない理由があったが、だからと言って見殺しに出来る男でもなかった。
馬が集落に近付くのを待ってから、アゼルは転げ落ちるかのように馬から飛び降り、魔法の詠唱を始める。
同時にレックスが馬腹を蹴り、賊に突撃する。
「ファイアー!」
放たれた火球は、魔法の未熟さを露呈する程度の威力でしかなかったが、レックスが賊の脳天に斧を振り下ろすに十分の隙を作った。
「な……!」
斧戦士ネールの血を受け継いでいても未だ慣れない頭蓋骨を叩き割る感覚。だが、レックスの背筋を凍らせたのは別の事実であった。
有り得る話ではなかった。
単なる賊ではなく、ヴェルダン兵だったからである。
この集落はユングヴィ城よりも、むしろシアルフィ城に近い。
何故こんな所にヴェルダン兵がいるんだ!?
シアルフィ軍は一体どこにいるんだ!?

Next Index