「まだか!?」
これまで何度叫ばれた事だろう。これから何度叫ばれる事だろう。
グラン暦757年、ユングヴィ城は邪教の経典のような、怨嗟に近い響きの台詞と、同じく絶え間無く響く剣戟に支配されていた。
「まだか!?」
ユングヴィ公家の弓騎士団“バイゲリッター”は遠い東方の国イザークへと遠征中。城に残ったのは公女エーディンと、実戦経験などあるはずも無い、満足に戦えない見習い騎士達だけであった。
「まだか!?」
エーディン公女に出来る事は、グランベル王国六公爵家の中で、ユングヴィに隣接するシアルフィ公家に援軍を要請するだけであった。
「まだか!?」
ユングヴィ城に攻め寄せるのはグランベル王国の同盟国である筈のヴェルダン王国。全軍を遠征させたのはヴェルダンとの同盟を信じたからであるが、決して過信した訳ではない。
留守を預かったエーディン公女は、その同盟国への警戒を怠らなかった。ヴェルダンの軍勢が、国境であるユン川を渡ったのを知るのも、その報をシアルフィ城へと伝えるために使者を発したのも素早かった。
対応は万全だった筈である。
「まだか!?」
だが、その叫びは今もなお繰り返されているのである。使者がシアルフィ城へと駆けて行った時刻から計算すれば、どう見積もっても援軍は既に到着している筈であるのに。
「まだか!?」
戦況はヴェルダンの軍勢に対し、既に城内への突入を許している。見習い騎士達は弓を捨て、公女の私室の扉を守る盾として、剣を振るっている。
「まだか!?」
彼は、残った見習い騎士達の中でのリーダーだった。やはりまだ見習い騎士だったが、将来を嘱望された人物だった。だから、ここまで同じ見習い騎士達を励まし、統率して来てこれたのである。
だが、弓騎士団でありながら、剣を持たざるを得ないこの状況では先が見えている。矢は既に尽きた。天命もまた尽きようとしている。彼自身、もう悟っている。
その運命が覆えされるとしたら、それは援軍が到着した時であろう。
「まだか!?」
城壁の上から矢を放っていた頃から、こうして石の壁に囲まれた通路にまで後退しては、もう東の地平線を望む事は出来ない。
それからかなりの時間が経った様な気がする。援軍がどこまで近付いているのかは分からない。
信じるしかない。信じるしかなかった。
「まだか!?」
彼は助かりたい訳ではなかった。無論、死にたい訳ではない。ただ、その前に助けたい人物がいるからだ。その人が、自分が忠誠を誓う、ユングヴィ王家の公女だから。
ただ、それだけだから。
「まだか!?」
ただ、自分には公女を守る力が無い。
敵の指揮官らしき男の投じた手斧が彼の右肩を切り飛ばし、そのまま彼が守っていた扉を突き破った。
右腕が剣を握ったまま通路の床に転がった。上質の木製の扉が、その身体に斧を突き立てたまま悲鳴を上げて倒れた。
敵の指揮官が新たな斧を手に歩み寄る。その両眼には、隻腕の見習い騎士など映っていなかった。その奥の、扉を失った部屋の中の女性に集中していた。
「まだ……か……」
そう、自分はこの男にとっては単なる障害物に過ぎないのだろう。事実、武器もろとも右腕を失い、残った左腕は壁に手を当てて体を支える事しか出来ないのだから。
自分には公女を守る力が無い。しかし、守らなければならない。
だから、盾となろう。障害物となろう。
――それで、一呼吸の間だけでも時間を稼げれば。それで援軍が一歩でも近付けるのなら!

Next Index