グラン暦758年――世界は激動の瞬間と転機を迎えていた。
 東ではクルト王子率いるグランベル軍がイザーク王国の征服を完了し、いざ凱旋しようとする矢先のことであった。
 北のシレジア王国では先王妃ラーナが実権を握り、先王弟であるダッカー・マイオス両公爵と対立。行方不明のレヴィン王子は今だ帰還せず、内戦突入は時間の問題であった。

 そして西にあるアグストリア地方。
 半年前、この地方の所有者であったアグストリア諸公連合はグランベル王国と開戦する道を選んでいた。隣国でありグランベルとの緩衝地でもあったヴェルダン王国がグランベルによって滅ぼされ、国境を接したことによって「次はアグストリア」という無言の圧力を浴びた結果である。
 ヴェルダン王国を滅ぼしたのは若い公子が率いる一軍で、数は決して多くない。グランベル王国軍の主力はイザーク征服で出払っており、目の前の一軍を撃ち破ればグランベル本国は丸裸も同然となる。言い換えれば開戦する好機だった。
 ところが、国境近くに位置し最前線の拠点となるはずだったノディオン王国を統べるエルトシャン王が開戦に反対し、説得も聞こうとしなかった。このままでは好機を逸するだけでなく、イザークから凱旋するグランベル軍主力にまで牙を剥かれる可能性まで出て来た。
 今すぐ開戦しなければアグストリアに未来は無い。しかし最前線の城が機能しないのでは戦争にならない。なのに、その最前線を守る王が戦争に反対している――状況を迅速に解決するためにはやむを得なかった。騎士団が演習のためノディオン城を離れた時期を狙ってエルトシャン王をアグスティ城に呼びつけ、逮捕するしかなかったのだ。
 王を失い、騎士団は留守。がら空きとなったノディオン城は最前線拠点として有効に活用されるはずだった……が、ここで歴史が動いた。ノディオン王妹ラケシスがアグスティ王国や他の諸王に対し宣戦を布告、アグストリア諸公連合はグランベルとの戦争ではなく内戦に突入することになった。
 この動きにエバンス城に駐留していたグランベル軍が軍事介入、ノディオン王国と同盟を結んでアグストリアの南半分を徹底的に蹂躙して回った。ノディオンを除く全ての王城が陥落し、アグストリア諸公連合は一瞬のうちに崩壊することになった。
 アグスティ城から叩き出されたアグスティ王シャガールは北のマディノ城に落ち延びて再建を期することになった一方、グランベル王国は占領した南半分に役人を送り込んで領土として組み込む準備を即座に開始していた。

 アグストリアの南半分ではグランベル役人とのトラブルによる溜まっていく市民の不満は早くも限界に達するのに長くはかからなかった。
 バーハラ王家とそれを守護する六公爵家という政治形態からか、グランベル人は中央志向が強い。アグストリアにグランベル式の統治体制を敷くという重要な任務を与えられても、役人本人にしてみれば左遷されたように受け取っていた。しぶしぶ赴任はしてみると、そこには反抗的な市民……中央の目が行き届かないという環境も手伝ってか、役人達が横暴な態度に出るのも決して不思議ではなかった。
 この急速な役人派遣を指示したのは後に皇帝となるヴェルトマー公アルヴィスであった。宰相レプトールはイザークに遠征中ということもあり、日増しに発言力を高めていたのだ。アルヴィスはこれ以後の征服地にも同じように焦ったかのごとく素早く役人を送り込み、様々なトラブルを起こさせていた。長期的な視野から考えてできるだけ早くグランベル式の統治体制を敷いて組み込んだ方が良いという観点からであった。それが正しいのかは意見が分かれるところだが、どのみち征服直後は大なり小なりトラブルは起こるものであるから今のうちに苛烈にやってしまおうという考えであったのだろう。
 一方で、アグスティ王家とは「1年後を目処に領土を返還」という申し合わせも進めていた。これは1年間辛抱すれば返還という姿勢を見せることで反発を抑え込もうという算段であり、騒動を起こせば返還しないぞという圧力でもあった。その間に有力者を懐柔したり不穏分子を潰したりで占領政策を進めようという腹積もりであった。
 単純に言えば、グランベルは返す気は全く無かったのだ。本当にどうしようもなく征服が難しいと判断した場合のみ傀儡政権を立てた上で何食わぬ顔で返還してやればいいのだ。
 もちろんグランベル側はそれを漏らすつもりはなかったのだが、雰囲気というものは思ったより敏感に伝わるものである。グランベル役人と兵士の横暴と相まって、いったん刻まれた不安は拭い去ることはできなくなる。それがさらに噂として伝わっていき、円満的な返還を期待する市民はほぼゼロになったと言ってもいいだろう。

 そしてその1年の期限のうち半分が過ぎた頃、アグストリア人の意見は主に2通りに分かれていた。
 1つはあまり円満的ではない返還。もう1つは武力による奪還である。
 前者は本来あり得ない話ではあるのだが、 本当ならグランベル側はもっと弱気になってもおかしくない状況ではあるのだ。何しろグランベルにとって機動部隊と呼べるだけの戦力は大陸の西半分にはシグルド軍しか居ないのだ。もしもシグルド軍が反乱軍に撃ち破られれば、アグストリアは自動的に失うことになる。それを見てヴェルダンでも反乱の火の手が上がる可能性も大であり、せっかく得た領土を全て失うことになりかねないのだ。結果的には領土面では損得ゼロになるわけだが、グランベルの価値観から言えばエーディン公女と聖弓イチイバルを奪われたことと征服地の反乱軍に敗れて叩き出されたという不名誉だけが残ることになる。
 双方の和平派というか穏健派に属する者は、この流れを最大限に悲観的に捉えた者と言える。グランベル側から見れば何もかも失ってしまうよりかは傀儡政権を立ててサッと撤退した方が良いし、アグストリア側から見ればグランベルにとっての最悪のシナリオを匂わせることで譲歩を引き出すことが狙える。円満的解決と呼べるほどにはならないだろうが、血を流さないで済むのは何より大きい。
 問題は、その焦点となるべき傀儡政権についてである。シャガール王に逮捕されたノディオン王エルトシャンは戦争に反対した姿勢をグランベル側に高く評価されているらしく、また魔剣ミストルティンを受け継ぐ黒騎士ヘズルの直系が立てば格式の面でも無碍にしにくい。和平を解く傀儡の王としてはこれ以上の人材はなかった。
 ただこれはシャガール王の廃位が必要である。エルトシャンはノディオンの王でシャガールはアグスティの王なので一見して関係が無い。だがグランベル側から見れば親グランベル政権が立つならその政権にアグストリアを纏めてもらわなければならない。グランベルは王と公と上下関係がハッキリしていたが、アグストリアのような王と王に上下関係がある政治形態はグランベル人には不自然で理解できなかったのだ。王国の集合体でありながら『諸公連合』と呼称されるのはそのためである。
 とにかく盟主の座をシャガールからエルトシャンに挿げ替えるだけでは不十分で、シャガールを王位から降ろす必要がある。周囲が本人を説得するのか、エルトシャンに迫らせるのか……いろいろと手段があり意見の一本化は難しかった。

 一方で後者は極めて簡潔である。アグスティ城に居座るグランベル軍を叩き出せばいいだけだ。グランベル軍主力はイザーク遠征中で、今ならば挙兵しても援軍は来ない。もちろんいつまでも東方に居ついてくれるわけではないが、少なくとも今は遠い地にいる――和平を結ぶチャンスということは、軍事的に見ても相手は都合が悪いはずである。これ以上無い好機なのだ。
 和平案にしても強硬案のどちらにしても、アグストリア側に挙兵というカードは必要不可欠ということになる。カードを本当に使うにしろ見せ札に留めるにしろ、兵を挙げる可能性無くしては失った領土を取り戻せないというところまでは両派とも一致していた。

 その意思表示を市民や将兵に見せ付けるためか、シャガール王はシルベールの砦の拡張工事を行っていた。
 砦を城にグレードアップさせるということは堅牢さの強化であり、あるいはより多くの兵を駐留させるためである。もともとは海賊が沿岸を荒らさないように監視したりあるいは演習のために利用される程度だったため砦で用が足りていた。それを城に改装したということはそれ以上の軍事行動を想定しているということになる。
 名目上は海賊の脅威に対応するためにやむを得ず……ということになっている。契約によって一定の海賊行為を許可する代わりに海軍力としてきたが、諸公連合が崩壊したためにコントロールを失ってしまっている。彼らが元の関係に戻ることを望んでいるのか、あるいはグランベルという名の新しい主に擦り寄ろうとしているのか、それともどの勢力とも手を結ばず独立を選ぶのか。それらの選択肢のどれかに意思が統一されるとも限らず、オーガヒル島にて海賊同士の縄張り争いに発展する可能性もある。
 最悪の状態を考えれば、シルベール砦の防衛力では心もとない。監視程度ならば現状でもいいが、混乱に乗じて本格的に活動されると今の砦の規模では対処しきれない……表向きはこのような理由で工事の許可を取り付けた。
 一方でこの工事を認めたグランベル側には別の理由があった。工事が大規模なものになればなるほど人が動くわけだから、間者の潜入が易しくなる。王権を失った王が再び立ち上がるためには民衆の支持が必要であるが、民衆という集団は言ってみれば烏合の衆であり、流されやすい存在である。それゆえに制御しにくい一面もあるのだが、ノウハウさえ得れば扇動はいと容易いという声もある。例えばシャガールの醜聞を流して信頼を失わせたり、グランベルの支配を受け入れれば恩恵が与えられる旨みのある話を吹き込んだり……やり方はいくらでもある。言葉は、挙兵すること自体を阻むことも可能なのだ。
 一方で、シャガール王が本当に挙兵する可能性もまたもちろん考慮しており、あえて工事を許可することで監視を強めようという意図もあった。これは意表さえ突かれなければ挙兵されても叩き潰せるという見立てあってこそであり、バーハラでの発言力を強めているアルヴィスがシグルドの軍事的センスを非常に高く評価していた表れでもある。

 時は過ぎていく。
 アグストリア側は時の流れに身を委ねている暇は無かった。イザーク遠征中のグランベル軍主力が本国に引き揚げ始めたという報が届いたのだ。
 グランベルがアグストリアに向けて援軍を出せる状況になれば失地奪回は厳しくなる。シャガール王は早急に意見を纏めなければならなかった……が、グランベルによる妨害世論工作によって意見の調整は難航した。派手に纏めようとすれば意図がグランベル側に漏れてしまうのはできれば避けたい。
 この挙兵に民衆の支持を得られるか――シャガールが心を砕いたのはこの1点に尽きるのだ。無益な血を流さねばならない以上、せめて大義のために戦うのが王の務めだ。

 月が姿を隠し、数本の篝火が王の姿を映し出す。
 彼が光の下に再び立つ日を迎えるために、今は夜を過ごさなければならない――この半年間、苦渋に耐えてきたのも、民衆や将兵を耐えさせてきたのも、この決起が成功するためである。
 眼下には、忠誠心に溢れ使命と郷土愛に燃えるアグストリア最精鋭の騎士たち。
 アグスティ陥落前に密かに北に移動させていた軍はずっと機会を伺い続けて来た。騎士団長ザインと捨て駒になった騎士達の命を受け継いだ精鋭達は、忍耐の日々の果てにシャガール王に呼応する時を今かと待ち続けて来た。
 奪われた地を奪回し、グランベル軍を追い出し、アグストリア諸公連合を復興する……敵の首を刎ね、命を奪うことを大事さを。勝つことの重要さを胸に刻み込んで。

「黒騎士ヘズルがこのアグストリアに国を興すよりはるか前より、諸君らの祖先はこの地に根付いていた。
 ロプト帝国の残虐な圧政にも、そして今でもそれに等しき征服者にも耐えて来た。その力の源は、マディノの海、マッキリーの谷、アンフォニーの森、ハイラインの岬……我らと諸君が住まうこのアグストリアの明媚な大地あってこそだ!
 その大地が、麗しく愛しき我らの大地が!無法なるグランベル人によって踏み荒らされている!
 奴らは聖者ヘイムに寄生して領土を広げてきた成り上がりに過ぎん! 知と理と雅を知らぬ愚かな俗人に、諸君の家族や友人が虐げられるのが正当か!」

「否!」
「否!」
「否否否!!」

「苦渋の時は去った。今こそ立ち上がり、世に大義を示すのだ!」
「おぉーっ!!」

 ……決起とは戦争と違い、必ずしも勝算があって行動を起こすものではない。
 誰かの代弁者であり、行動そのものが誰かへのメッセージなのだ。
 正しき道を示す者がここにいる……その意思表現こそが目的なのである。小さな流れが大きな川となるかどうかは、シャガール王の挙兵が正しかったどうかの回答となるだろう。

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