シアルフィ公領、西部――。
一騎の軽装の騎士がただひたすら東に向かって駆けている。
既に正面の空は白み始めており、本来そのような昼夜問わずの強行軍を続けては人も馬も保つものではない。
だがこの騎士には明確な使命があり、それに己の身命を費やしているからこそ腿がつる痛みにも耐え切れるし、その愛馬も主の気迫に応えているのだ。
グラン暦757年、軍主力が東方遠征中であるグランベル王国に対し、ヴェルダン王国がその空き巣を狙って侵入した。
ヴェルダン王国はグランベル王国の西南部に隣接しており、当然の事ながらその周辺が真っ先に土足で荒らされる事になった。その地域はユングヴィ公家の領地であるのだが、主力である弓騎士団バイゲリッターは東方遠征に参加しており不在。留守を預かっていたのは実戦指揮経験ゼロのエーディン公女と、遠征に参加する事も出来なかった見習い騎士達のみと言う絶望的状況であった。
さすがにこれでは戦っても勝てないと判断したのであろう、エーディン公女は即座に援軍要請を決断し、東隣のシアルフィ公家の留守を預かるシグルド公子へ急を告げる使者を発した。
ユングヴィ公家とシアルフィ公家とは極めて良好な関係にあり、エーディン公女とシグルド公子とは幼馴染の仲である。そして今でも、二人の結婚話が持ち上がらないのは何故なのだ、と言う疑問が社交界を席巻するほど仲が良い。
だから危機を知れば、必ずシグルド公子は即座に駆けつけてくれる――と言う期待も込めてエーディンは、主家であるバーハラ王家行きよりも優れた駿馬を用意させたのである。
「このままなら昼過ぎには着けるな……もう少しの辛抱だ!」
騎士は馬腹を蹴り、さらなる酷使を嘆願した。
愛馬もそれに応え、猛り狂ったように疾走する。
――全ては私次第だ!
騎士は自分にそう言い聞かせる事によって、この道程を駆け抜けて来た。
ユングヴィには迎撃に出て撃破するほどの兵力は無く、城内に籠もって抵抗しつつ援軍を待つ以外に手段が無い。言い換えれば援軍が来なくては勝利は有り得ないのであり、援軍が来た時が勝利の時である。
つまり、ユングヴィが救われるかどうか、無抵抗のまま弄られているだろう村々を救えるかどうか、延いてはグランベル王国全体の命運は、彼がどれだけ早くシアルフィ城に辿り着けるかにかかっているのである。
そう、全ては彼次第なのである。
「頼む! もう少しなんだ!」
とは言え、気力だけで肉体を支えきれるものではない。
太陽が顔を出す頃になると、先ほどの頼みを反故にされたと疑いたくなるほどその速度は急激に落ち始めた。
どれだけ愛馬を鼓舞し叱咤しても、もう先ほどまでの走りは取り戻せなくなっていた。あれだけの強行軍を重ねたのだから当然ではあるが。
「む、あれは……!」
そんな折に、前方に二騎のシアルフィ騎士の姿を見つけたのは、彼にとって望外の幸運だろう。
彼らに急を告げても良いし、馬を借りてもいい。
その彼らもこちらに気付いたのか、馬を飛ばしてこちらに向かって来た。
巡回中か何か知らないが、とにかくこんな所にいてくれるとは思いもよらなかった。
まるで、自分が現れる事を知っていて待ち伏せていたかのように――。
「ヴェルダン王国が国境を突破して我らユングヴィ公領に侵入して来た! シグルド公子様に援軍を請うべく……」

彼の任務はそこで終了した。
その命と共に。

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