大陸に住む普通の人々は、ロプト教そのものへの感情はあるが、教徒一人一人の区別はつかない。
 偏見とはそういうものであるが、そのせいで一つ見落としている点があった。ロプトが一勢力ではないことである。
 アルヴィスと結託して地位を築き始めているのはイード砂漠の出身者であるが、ロプトにはもう一つ大きな勢力があった。マイラ派と呼ばれる、ヴェルダンの聖霊の森に住む者たちである。
 ロプトの中でも穏健派であるマイラ派は、ロプト狩りの対象にはなからなかった。聖者ブラギがマイラ派の影響を受けていると言う点から、一定の尊敬があったために弾圧できなかったのである。ヴェルダンの奥地を隠れ里として籠もることを不文律の条件とした上で、存在を許された。
 マイラ派の人々は特に野心など抱かず慎ましく暮らしてきたが、一人の女性とその娘によって歴史の舞台に躍り出ることになった。
 シギュンという名のマイラの巫女が、当時のヴェルトマー公ヴィクトルの目に止まったのである。
 聖霊の森として隠れ家を神聖視されているため、たまに街中に出ても迫害されはしない。なので、隠れ里の生活に満足できない若い世代は、時々目を盗んでは街中へと出ていた。シギュンは決して快活な方ではなかったがやはり彼女も例には漏れなかった。
 ヴェルダンの街中にヴェルトマー公爵がいたのは単なる偶然であった。グランベルにとってヴェルダンの地は蛮地として蔑まされていたが、この地の森や湖の輝きはグランベルにはないものであるため観光資源として密かに認知されてもいた。外交上手として知られるバトゥ王は、エバンスの既得権を認められて以来は親グランベルを通しており、関係強化のためにこの観光地への誘致に力を入れていたのだ。
 そして決して旅好きと言うわけでもないヴェルトマー公ヴィクトルがヴェルダンを訪れたのは、まさに神の悪戯と言うしかないだろう。 街中で偶然見かけたシギュンに一目惚れしたヴィクトルは、強引にヴェルトマーに連れ帰って妻とした。
 この結婚を伝え聞いたグランベルの中枢内で大騒動となった。女性は美人に越した事はないとは言え、どこの馬の骨とも分からぬ女を妻に迎える事は大問題である。貴族社会とは平民と隔たりがあるからこそ権益を守れるのであって、しかも最も重要な血の繋がりにおいてである、他の五公爵家はもちろん、バーハラやヴェルトマー内でさえも大反対の声で一致していた。
 歓迎したのは民衆ばかりである。シンデレラ・ストーリーに憧れるのは同じく平民なのだ。シギュンという女性が蛮族ヴェルダンの出自であっても、貴族か平民かという線引きであれば彼女は同じく平民側の人間である。
 しかし民衆の支持の声など、公爵に届くわけはない。知覚できる範囲で孤立無援であるヴィクトルは、ここで賭けに出た。もともと気が小さく凡庸な人間であったヴィクトルは、反対の声を無視できるほど面の皮は厚くなく、黙らせるしか選択肢はなかったのだ。
 ヴィクトルは、バーハラで行われた舞踏会においてシギュンを公開したのである。ヴィクトルはもともと舞踏会に顔を出す事が滅多になく、この奇襲に皆は完全に不意を突かれた。やや俯きがちで姿を現したシギュンの美しさに感嘆の声を挙げた瞬間、彼らの敗北が決まった。どこの馬の骨とも分からぬ女を認めてしまった以上、ヴィクトルとの結婚に反対する理由がなくなってしまったのである。無理矢理に非難する事も可能ではあったのだが、それもなかったのはそれだけシギュンの絶世の美しさを形容する結果であった。
 かくしてヴィクトルとシギュンとの結婚は認められ、翌年には待望の公太子アルヴィスが誕生した。この慶事にヴェルトマーは祝福の声で包まれた。
 だが、当の二人も幸せの絶頂にあったかと言えばそうでもない。詩人でもあったヴィクトルは希有な出会いを果たしたシギュンを溺愛していたが、彼女からの応答が希薄なところに小さな溝が出来ていた。愛情表現が苦手なシギュンであったが、ヴィクトルを嫌っていたわけではなかった。強引に受け入れさせられたとはいえ、子供も生まれた事でそれなりの愛情も抱くようになっていた。だが、市井の詩人が歌うようなロマンチックな出会いと同程度に詩的な愛情表現は出来なかった。もしかしたら愛情の深さでは劣っていなかったかもしれないが、内向的なシギュンはその気持ちをヴィクトルに分かるように伝える事が容易ではなかった。
 ヴィクトルにとって、シギュンに拒否された事は一度もなかったのが逆に気になった。運命に抗わずただ流される女性は詩的ではあるものの、実際に妻とするとそういう運命を享受しているだけで愛してくれていないのではないかと疑いたくもなる。愛しているかと聞いてはいと答えてくれれば気が済む問題ではなく、なまじ詩人であるだけに、この迷宮は出口がないものとなった。
 結果、ヴィクトルは気を紛らわすために酒や女に耽る事になった。その行為がシギュンとの溝を深める事になるのは理解していても、シギュンそのものを信じられない事の方が大きかったのだ。酔った勢いで小間使いに手を出して生まれた第二子アゼルの誕生後も、それは変わる事はなかった。
 シギュンを半ば幽閉するなど倒錯気味のヴィクトル。不仲説が徐々に外に流れ出すと、途端にこれに飛びつく者がいた。漁色家として知られるクルト王子である。
 グランベル王太子クルトは周囲の勧めに乗る事もなく、これまで独身であった。天性の女好きとしては身を固めたら自由が失われてしまうと言う考え方があったからだろう。あの晩餐会でシギュンを見初めていたクルトは、ヴィクトルとの仲が良くない隙を突いてシギュンに接近した。
 クルトの手がついた事に、ヴィクトルは憤怒する暇を与えられなかった。その前に『急死』したのである。
 グランベルが絡んだ人物が急死する事はよくある。どうしていきなり急死するのかは誰も黙して語る事はなく、今回の一件についてその真実は最後まで明らかになる事はなかった。
 ただ、慌てたのはグランベル中枢部である。明らかにならなかったと言う事は、自由な推測を許可するのと同じである。クルト王子が絡んだ、しかも情事にまつわる一件で邪推されては王権の面目丸潰れであるから、何とかして別の真実を作るしかなかった。
 この隠蔽工作を一任された時のフリージ公レプトールは、クルトがシギュンを手を出した事はそのまま公開し、代わりにヴィクトルの死は妻の不貞を呪って自殺したものと脚色した。不仲説はあったのだからこの結末はやむを得なかった、という解釈をもたらせようとしたのだ。
 この工作で最も割り損となったのはクルトであった。レプトール作の物語を証明するために偽の遺書まで作られては、さすがにシギュンを側に置いておけないからだ。せっかく手に入れた絶世の美女を手放すのは惜しかったが、バーハラ王家の権威がスキャンダルで失墜するよりはまし、と諭されればどうしようもなかった。結果、シギュンは故郷であるヴェルダンに送り返される事となり、物語は完結した。
 そして、8年ぶりに聖霊の森に帰ったシギュンを出迎えてくれたのは温かいものではなかった。ヴィクトルと結婚し子供を産んだ事を伝え聞いていた隠れ里の皆は歓迎できなかったのである。一般市民ならグランベル公爵と連れ添った事に少なからず反応したであろうが、ここでは単に『外で子供を作った』としか受け取られる事はなかった。聖霊の森の隠れ里でひっそりと暮らすロプトの民にとって、大貴族と関係を持つ事が価値観を刺激しなかったのである。復権を目指す野心など全くないため、相手が誰であろうと外で産んだ以上は『人口が減った』としか思いようがないのである。掟によって二人以上の子を産む事が禁じられているため、シギュンの家は絶える事になるからだ。
 ここまでならばまだ良かったのだが、シギュンが懐妊している事が明らかになると話がまた変わってきた。生まれてくる二人目の赤子は、掟によって殺さなければならない。しかし、産み落とされた娘を手にかけようとした瞬間、眩い光の力に躊躇した。光魔法ナーガを受け継ぐ聖者ヘイムの直系なのだから当然であるが、そこまでは知らない彼らでは、巫女としての力に優れている、という解釈しかなかった。
 結局、その赤子は殺される事はなかった。ディアドラと名付けられた女の子は巫女として育てられる事になった。素質を惜しんだ結果、外界に兄がいる事は黙殺されたのである。要は、出会わなければ良いのである。
 ただ、決して歓迎されたわけではなかった。巫女として接してはくれたが一段高い所にいるディアドラは腫れ物を触るように接される事を享受せざるを得なかった。シギュンに似て運命に抗う事をしないディアドラはそれでも不満を抱く事はなかったが。
 シギュンが美しさを残したまま死に、独りぼっちになったディアドラは巫女として気高くも孤独な毎日を過ごすようになった。しかし同世代の輪から外れて祈りを捧げる毎日を黙々と続けた。
 そうして十数年が過ぎたある日、運命は唐突にやってきた。
 ヴェルダンに逆侵攻してきたグランベル軍の若い将軍が、唐突にディアドラの身柄を要求してきたのである。
 ディアドラがバーハラ王家の王位継承者だとは知らない皆は、村の安全のため売り飛ばす事で一致した。アルヴィスと言う兄がいるために外界に出す事について反対する声も上がりはしたのだが、目の前の恐怖に勝てる材料にはならなかった。
 犠牲にしたディアドラが世界の頂点に君臨する女性だと知ったのは、それから3年近く経ってからであった。一抹の不安が当たってアルヴィスと結婚した事への恐怖もあったが、惜しいことをしたと悔やむ感情もあった。そしてイード派がアルヴィスの影の戦力として暗躍しており後々はロプト教が公認させるらしい事も知ると、とたんに野心が沸き立ち始めた。
 ディアドラが聖霊の森出身なのは胸を張れる点である。人口が少ないために全員がディアドラの外戚と言える系譜は、グランベル中枢に食い込む根拠となり得た。そこを頼りに、慣れない政治工作を始めた。
 しかしこれに辟易したのは当の拠り所であるディアドラ本人であった。運命に嘆きはしても呪いはしないディアドラだが、聖霊の森での生活に冥い感情があったのは間違いなかった。保身のために追放し、見送りにも来なかった故郷の人々を笑顔で迎えたりしなかった。ユリウスとユリアを産んだことによる喜びと苦しみを共有するディアドラは、余計な事を持ち込まれる余裕などなかったのだ。
 ディアドラとの伝を頼る事が失敗に終わったが、だからと言って大人しく引き下がれはしなかった。ロプト公認とはいえ、光の民からの感情は自分たちマイラ派の方が好意的だと言う自負があるため、イードの者たちに上に行かれる事は屈辱なのである。
 次に頼ってみたのはエッダ教会であった。ロプト公認の煽りを受けてホットな話題であったために、接近は比較的容易であった。
 その結果はと言うと、これも芳しくはなかった。エッダ教会内にも同じくマイラ派と呼ばれる司祭がいた。これは始祖ブラギの出自に関する解釈で、ロプトのマイラ派に好意的な一派である。当然ながら好意的に受け入れてはくれたが、教会内でさしたる力を持っていないこの宗派では期待したほどの成果は上がらなかった。
 そもそも、イード派と比べて決定的に劣っているのは、彼らのロプト教徒としての能力であった。慎ましくも安全に暮らして市民化してきた聖霊の森とは違い、迫害に怯えながら復権を目指して技を磨いてきたイードの者とでは実力に差がつくのは当然であった。マンフロイのような絶対的な指導者が存在しないせいもあって、マイラ派は迷走を続けた。
 そしてグラン暦762年、小さな出来事に彼らが便乗した。勢力拡大を謀っての行為であったが、やや短絡的な決断は本来の目的から外れる事になる。
 ヴェルダン地方の民衆による武力蜂起であった。

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