帝政以降、ロプト教会は深刻な資金難に陥っていた。
 保護者であったアルヴィスが信教の自由しか与えてくれず、以前のように資金援助は行われなくなった。玉座に昇るためにロプト教徒を影の戦力として使っていた頃は潤沢な資金が与えられていたが、平和になってからはその予算は大幅に削減されたのである。契約が完全に打ち切られたわけではないので収入がゼロというわけではないが、アルヴィスを出し抜いて躍進を狙うロプト教会にとってはその活動資金が足りないわけである。
 "労働"という選択肢は全くなかった。いくら迫害が禁じられたとは言え、偏見はまだまだ根強い。ローブを脱ぐわけではないロプト教徒たちが働いて日銭を稼ぐなど無理な話である。雇用する側に選択権がある以上、薄気味悪い彼らが街中で働く姿など見られることはない。
 マンフロイが負傷退場し、留守を担う事になったレィムは、まずこの問題から打開する事になった。アルヴィスを放逐してユリウスを擁立する大目標を立てたが、何をやるにも資金が必要なのは光の者も闇の者も同じである。活動を行うためにその資金を調達しなければならないのだ。
 法に触れるような手段はもっての外である。実力を持ってすれば大貴族の金倉を襲うなど朝飯前だが、立場が微妙なロプト教会が目をつけられれば全ては終わりである。いくら資金を得たと言っても、今さらイードの地下に潜り直す気にはなれない。
 レィムは、なけなしの資金を全て注ぎ込んで装飾品を作らせた。大内戦の煽りを受けたせいか貴金属の値上がりが厳しかったが、それでも数個の細工品を作る事ができた。
 ロプトの法衣を纏っている限り、まともな商売などできはしない。なのに売り物など作ってどうするのか、と皆は訝しんだが、レィムの説明を受けて納得した。計画に合致しそうな人物を調査し、見つかるとその細工品を携えて現地へと向かった。

 グランベル帝国ミレトス地方、ラドス城----
 良い意味でも悪い意味でも華やかなグランベルの歴史の中で、このミレトスの地が語られる事は少ない。文明的に決して田舎と言うわけでもないのだが、やはり十二聖戦士の末裔が治める六公爵家領とは一線を画されてしまう。
 だが、その片田舎的な風潮が逆に良い方に転んだのがこのミレトスの特徴であった。六公爵家とは違い絶対的な実力者が存在しないこの南の地には自由闊達な風潮が育ち、貴族階級に隷属しなくてよいせいか多くの商人たちがこの地を拠点とするようになり中央と匹敵するほど豊かになっていた。
「さぁさぁ、今宵も大いに楽しみましょうぞ!」
 この地で力を伸ばした豪商達は、夜な夜なパーティーを開いていた。これは単純に我が世の春を満喫するためのもので、冷徹な計算に裏打ちされた商談のためではない。ただ、騒いでいるうちに意気投合し、自然発生的に商談が成立する事はよくある話であるが、これはあくまで副産物である。
「あの奥様がしていらっしゃるサークレット、とっても素敵ですわね。どちらでお買い求めになられたのでしょう?」
「わたくし、聞いたことがありますわ。あれはロプト教の遺失技術で作られたものですって」
「まぁ! ……でもホント素敵」
「皇妃様がしていらっしゃるのと同じ型なんですって。あぁ、女に生まれたからには身につけてみたいものですわ」
「いったいおいくらぐらいするのでしょう? ……夫にロプト教に入信するように頼んでみようかしら」
 パーティーの主役は婦人たちである。普段は家の中の彼女たちにとっては数少ない余興であるからだ、そして庶民でも富豪でも集まれば長話が始まるのは変わりはない。グラスを片手に話に興じるもどこか距離感を残している男の会話とは違い、集団で一つの力となっている女性陣の塊は明らかに存在感があった。右端と左端の差はあれ同じ壁際で話しているにも関わらず、男たちの方が肩身が狭さそうに見えるのが男女の妙と言うものであろうか。
「今宵はようこそお越しくださいました。存分に楽しんで行ってください」
 その女性たちの輪の中に、招待状を出した主が割り込んで行った。その小太りでいかにも富豪らしい富豪と言った印象の男に気付いた婦人たちは一斉に取り囲んだ。
「んまぁモリガンさん、お招きいただいてホントにありがとうございます。最近、夫がどこにも連れて行ってくれないので息が詰まっていたところでしたのよ」
「あらいけませんわ、今はもうモリガンさんじゃなくてモリガン司祭とお呼びするべきじゃなくって?」
「そうでしたわ! こないだ夫からその話を聞いて目を丸くしたばっかりでしたのよ。でもこうしてお会いしてみればちっとも変わっていなくて安心しましたわ。小さな頃はそれはもうロプト教について凄い話ばかり聞かされましたわ、お祈りするのに子供を生贄にしたとか、そのために子供狩りが行われたとか……その夜、怖くてトイレに行けませんでしたの。わたくし、そんなに怖がりじゃないんですけれど、その晩は風が強かったものですから、攫われそうな気がしてなりませんでしたの。ベッドの中で震えておりましたけれどどうしてもトイレも我慢できなくて……おほほ、そんなことはどうでもいいですわね。ただ、そんな過去があったから皇帝陛下がロプト教を公認なされてどうなるのかと女ながらこれでも注目しておりましたのよ? 夫と仲がいいモリガンさんが入信されたのが初めてじゃないかしら? でも素敵ですわね、奥様のあの額飾りって皇妃様がしていらっしゃるのと同じものでしょう? わたくしバーハラで拝見したことありますわ。フリージのヒルダ様にお呼ばれされて行った舞踏会でのことでしたけれど、皇妃様、お綺麗な人ですわね。あ、でももう少し自信を持った方が良いと思いますの、あれだけ整った顔立ちされているのですからあんなに控えめにされなくてもいいと思いますわ、都に慣れていないせいかもしれませんけれど、誰か社交界での振る舞い方をキッチリと教えないといけませんわ。ヒルダ様が側についていれば全ては大丈夫なのでしょうけれど、ほら、フリージ家も何かと大変でしょう? ブルーム様が遠征に出られてて、ヒルダ様お一人で切り盛りしていらっしゃいますから皇妃様のお相手はやっぱり無理がありますかしら? あ、フリージでお相手と言えば皇太子様のお相手、やっぱりイシュタル様で決まりですわね、実は密かに狙っておりましたけれどわたくしの娘は父親に似てしまいましたから泣く泣く諦めましたの。息子はわたしに似ていそうなので帝都に留学させてみようかと思いますの、もしかしたらユリア様のハートを射止められるかもしれませんし。でもイシュトー様ってライバルもいますしそんなに期待はしていないのですけどね。……あ、そうそう、モリガンさんのお話でしたわね、おほほ、わたくしったらまた話が脱線してしまいましたわ。その癖だけは治せって夫にもいつも言われておりますの。ほら、女に主導権を握られるのって殿方のプライドに関わりますでしょう? そんなことどうでもいいと思いますのよ、わたくし。これでも夫のことを心から愛していますから……あら、わたくしったらまた。おほほ、ごめんあそばせ。モリガンさんって本当にお変わりないものですから、モリガン司祭なんて新しい呼び方がなかなか馴染みませんの」
 呼び方の訂正を求められただけで何故にこんなに話が長くなるのか不明であったが、そうなったと言うことはパーティーの成功でもあるのだろう。モリガンと呼ばれた男は我慢強く話を聞いた。
「仰る通りあれがしている飾りは皇妃様のと同じ品でしてなぁ、ロプトの遺失技術は凄いの一言、わしも入信した甲斐がありましたわい」
「本当に、モリガンさ……司祭が羨ましいですわ。ところで、ああいうお品ってやっぱり入信しないと手に入りませんの?」
「左様ですなあ、ロプトの技術はロプトでないと恩恵を受けられませんから……ただ、特例ですが相応の寄進で信心を見せれば何とかしましょう。この時代、そうそう洗礼を受けられないことは我々も承知しておりますからな」
「まぁ、それは本当ですの! ちょっと、あなたあなた〜」
 邪教であるロプトの洗礼を受けるのは己の勇気も周囲の理解も必要だが、金を出すだけなら話は別である。高い買い物であっても金で解決するのなら富豪にとっては安易な手段であり、思い切りもいい。
「夫から許しを得ましたわ、明後日には用意できると思いますの。あ、そうそう、夫が『壁画が欲しい』と言っておりますけど……ございますかしら?」
「それはもちろん。ロプトの芸術はあらゆる分野を網羅しておりますから。さっそく、画家の信徒を向かわせましょう」
 ……結局、この婦人の他に数件の商談が取りまとめられ、大収穫を挙げてパーティーはお開きになった。

 資金調達とロプト勢力の拡大との二つの問題を一気に解決すべく、レィムが立てた計画は"ロプト教のブランド化"であった。
 海の向こうへと旅立った、後のロプト初代皇帝ガレは暗黒神ロプトウスの力と数々の魔法を手に入れて世界を手中に収めたが、文化人でもあったガレは様々な無形物も持ち帰っていた。しかしロプト帝国が崩壊した際に、野蛮な十二聖戦士が行ったロプト狩りにはこの文化も含まれていた。ロプト色が漂うものは全て叩き壊されたのだ。
 ほんの百年ちょっと前には存在したものだが、現在では目に留まることはない絶滅した文化。百年ぶりに復活したそれは、全く未知のものに映った。それを売りにしようとしたのである。
 その最初の商品となったのが、装飾品、特に額飾りであった。これは皇妃ディアドラがいつも身につけているサークレットのレプリカである。ディアドラ個人は母の形見として身につけているのだろうが、ロプトの技術を売り出す者にとっては最高の広告塔である。ユグドラル大陸の頂点に君臨する女性が販促物となってくれるのである、効果は抜群であった。
 もちろん、皇妃と同じものを身につけて社交界に出るのはバーハラでは礼儀の面で御法度である。しかし帝都から遠く離れたミレトスでは口酸っぱく言われることはない。旧六公爵家領と比べて片田舎とされる分だけいい方に傾くわけである。
 そのミレトスで商売を始めるにあたって、流通を担ってくれる商人と繋がりを持つ必要があった。その白羽の矢が立てられたのがこのモリガンと言う男である。ロプトと手を結べるだけの勇気と強欲さと計算高さを持った大店を探した結果、彼が選ばれたわけであった。
 契約の交渉はレィムが自分で行った。対外交流がほとんどないロプト教会だから、外交面での適任者など誰もいなかったのだ。最も難航するであろうと思われたロプト入信の条件は意外にもあっさりとクリアした。これはレィムの交渉術と言うよりもモリガンの商魂によるものだろう。箔をつけるために司祭位で迎える条件を呑んで交渉は無事に取りまとめられた。
 そしてサークレットにつけられた小売価格であるが、レィム以下ロプトの者は充分にふっかけた。しかし実際にモリガンが顧客に売りさばいたのはその5倍の値段であり、ローブの中で呆気にとられた顔にさせた。ところが、この値段でも実際に売れたのである。複製元であるディアドラのサークレットは実はロプト帝国時代に流行った、ポピュラーなデザインのものであり、当時としてはそこまで貴重な品でもなかった。その平凡さを基準にふっかけたレィムと、ロプトの技術を見たことがなくその衝撃を身をもって体感しかつ大儲けを企むモリガンとでは、付けられる値段に大きな差が出るのは当然であった。
 ロプト側にしてみれば原価の利鞘を稼ぎ損ねた感があった。モリガンがミレトスの富豪たちにあれだけの高値で売っているのだから、仕入れ値がもっと高くても構わなかったに違いない。この値段でも資金調達には問題ないが、少し損をした気分になった。
 ところが、その後ろ向きの気分がいきなり晴れやかになったのは、その後のモリガンの行動だった。彼は大儲けしたその金の大半を、何と仕入れ先のロプト教会へ投資したのである。
「これからも御贔屓に」
 簡潔な言葉の裏には、現在では装飾品数個を作るのが精一杯のロプト教会に資金を投入して事業を拡大した方が将来的に必ず得だと言う強欲さと冷静な計算があった。
 ロプト側もこれは大歓迎であった。遺失技術を売り出すのは資金調達の面でも継続していきたいが、それに専念していたのでは他の活動ができなくなる。行動力に制限がかけられている現在のロプト教会にとって回転率を上げる意味でも事業の拡大は望むところであった。そのうち人手不足が問題になるだろうが、事業が順調なら信者を増やすのも楽になるだろう。

 なお、この後もロプト教会と司祭として迎えられたモリガンとの蜜月関係は続き、彼は最終的にラドスの城主を任されることになる。このミレトスで裸一貫で身を起こして商業で成功し、ロプトと手を結ぶことで最後は一城の主にまで出世したのである。神の力を得た十二聖戦士の末裔達が支配するユグドラル大陸は自然と血統重視の貴族社会になるが、その中で平民の出でありながら身分の差を超越して城主と言う大立者となったのは本当に希有なケースである。彼の人生が戦死と言う幕切れでなくもしも天寿を全うしていたら、さらに高みを極めたかもしれない。しかし、惜しくもあるが期待も残したままの死は、可能性に挑戦した彼の人生に相応しい最期だったかもしれない。ただ、残念なことは彼の死後すぐに立った世界の新体制がロプト否定派であったために、成功のために洗礼を受けていた彼の評価が低いものとなった点である。

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