アグストリア諸公連合が、大国グランベルに引けを取らないまでの国力を有する事が出来たのには明確な理由がある。
市井の学者達は、肥沃で広大な土地に恵まれている事に加え、国家指導の独自の農業政策の成功により極めて生産性の高い穀倉地帯を有する事が出来た為である、と口を揃えて言うが真実は異なる。
それが誤りなのではない。確かに昨今の国力の目覚しい成長ぶりはそれに起因する。だがそもそもそれを為し得たのは、アグストリアがその農業政策を実行に移す為に必要な、ある一つの絶対的条件を有していたからである。
「グランベル王国と領土が隣接していない」
ただ、それだけが必要だったのである。
アグストリア諸公連合とグランベル王国とは、地図上では隣接国である。しかしその境は高い山脈によって分け隔てられたものである故に、実際には領土は接していないに等しい。
大国グランベルと領土が接していないと言う事は、侵略の恐れが無い事でもある。アグストリアの国力の成長は、グランベルの脅威を考慮する必要が無い為に、軍備拡張を最小限に抑えて内政に専念する事が出来た故である。

だが、その平穏も長く続かなかった。
アグストリアとグランベルの間に位置する要所であるエバンス城を有するヴェルダン王国が、グランベルが大陸東方へ遠征してがら空きとなったその後背を襲ったのである。
真意の分からぬ暴挙である。ヴェルダン王国は、たちまちグランベル軍によって逆侵攻を受けてしまう。
確かにヴェルダンのグランベルへの突然の侵略は間違いなく暴挙である。しかし今のアグストリア諸公連合の繁栄は、グランベル王国との間にヴェルダン王国が存在する故である。いい迷惑だが、断じて滅びさせてはならない。直ちに援軍が送られるはずであった。
……その矢先であった。
アグストリア諸公連合の盟主である、アグスティ王イムカの突然の崩御の報が各諸公にもたらされたのである。それに伴う混乱によってヴェルダン救援軍の編成どころではなくなったのである。
「……どう言う事だ、ザイン」
アグストリア諸公連合全体の王都であるアグスティ城。その執務室で、即位してまだ日が浅い新王シャガールは騎士団長ザインの報告を受けていた。
先王イムカの突然の崩御により、ヴェルダン救援軍の編成は不可能となった。しかしその中で、ハイライン王家だけは独自に出兵し得たのである。
アグストリア、ヴェルダン、そしてグランベルの共通の国境の要所であるエバンス城の奪取に成功すれば、グランベル軍の補給線を断つ事になる。
それだけでヴェルダン救援は成功する筈だったのだが、ハイライン軍はエバンス城を包囲するどころかヴェルダン領に入る前に軍を転進させてしまったのである。
「救援軍を指揮したエリオット王子によれば、国境付近にてノディオン軍の妨害を受け撤退を余儀なくされた故、との事です」
「……どう言う事だ、ザイン」
シャガールは同じ言葉で再び説明を求めた。
――まさか、味方に足を引っ張られようとは!
他の諸公の誰もが援軍の派遣を断念した中で、唯一ハイラインだけが出兵したのだ、エリオットが臆病風に吹かれた上にその責をノディオンに押し付けたとは考えにくい。恐らく、ザインの説明は真実であろう。
「獅子王殿の釈明によりますと……、──ヴェルダン逆侵攻は、拉致されたユングヴィ家エーディン公女の奪回が目的であり、ヴェルダンへの侵略の意志は無い。公女救出を完遂すれば即座に兵を退く──とグランベルは確約した。その行為は正当なものであり、故にその後背を脅かすのは誇り高きアグストリアの騎士の道に反する為、万やむを得ず……」
もういい、とばかりにシャガールは手を振って制した。それを受けてザインは一礼して退室した。
――エルトシャンの愚か者め、グランベルがそんな口約束を守るはずがないであろうに!

……そしてグランベルは、極めてグランベルらしく振る舞った。
エーディン公女を追って逆侵攻したグランベル軍は、そのまま王都ヴェルダンまで攻め上ったのである。結果、国王バトゥを含む全ての王族が戦死し、ヴェルダン王国は滅びたのである。
そして逆侵攻したグランベル軍は、本国に帰還する事無く、そのまま国境のエバンス城に駐留したのである。
それが、ヴェルダン征服のみならずアグストリアまで窺おうと言う意図のものである事は完全に明らかだった。
「直ちに兵を揃えよ!」
新王シャガールの大号令が下った。以前までの様に、ヴェルダンと連携してグランベルを牽制する、と言う戦略を用いる事が不可能になった以上、自力でグランベルに対抗し得るだけの戦力を整えなければならない。
だが、いかに肥沃な穀倉地帯を有しているとは言え、それは極めて困難である。それが許されるだけの時間が無いのである。
シャガール王は決断した。アグストリア側の戦力増強に限界があるのならば、グランベル側の戦力減退を謀るべきだ、と。
「グランベル軍主力が東方遠征中である今が好機……これは、あくまで防衛の為の先制攻撃である!」
……だが、対グランベルの切り札となるはずだった、大陸最強と謳われる騎士団クロスナイツを擁するノディオン王家が猛然と反対したのである。
「戦争だけはしてはならぬのです!」
黒騎士ヘズルの血と魔剣ミストルティンを受け継ぐ、ノディオンの“獅子王”エルトシャンの反戦の意志表明。他の諸公達は、誰一人として顔面蒼白を避けられなかった。
ノディオン領はアグストリアの最南端に位置し、国境線を挟んでエバンス城と対峙する格好になっている。つまり、反戦を掲げたノディオンを通過しないでのグランベル領への侵攻は不可能なのである。
……貴重な戦力を失うのは惜しいが、この作戦は速力が武器である以上、途中で妨害を受ける事は出来ない。やむなくシャガール王は、クロスナイツに対して北のシルベール城へ駐留するように命令し、エルトシャン王をアグスティ城に軟禁したのである。

だが、国王としては優秀なれどまだ経験の浅いシャガールは、グランベルの無法の度合いを見誤っていたのである……。

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