「残念だけど、今の力ではブルームの大軍に正面から立ち向かうことはできない。防御に向いた近隣の村や森に籠もって抵抗しよう。正義が私たちにある限り、必ずチャンスは巡って来る、苦しい戦いが続くだろうけれど、もう少しだけ私に力を貸してほしい――!」
 グラン暦776年、北トラキア――。
 セリスの旗揚げのニュースが全土を駆け巡る中で、この地方にも反乱が起こっていた。
 首謀者の名はリーフ。今は亡きレンスター王家の王子である。
 母国がトラキア軍によって滅ぼされた中で彼だけは命からがら脱出し、帝国の追及をかわしながら潜伏を続け、ついに蜂起したのである。
 まともな戦力が整わぬうちの旗揚げであったが、多くの協力者を得て連戦連勝、ついには故郷であるレンスター城を奪回したのだ。
 ……さらに勢いに乗ってアルスター遠征を敢行したのだが、王都コノートから出陣してきたブルーム王の前に大敗を喫し、レンスター防衛の兵力をも失ってしまった。負けが許されない戦いを続けてきたせいか、投入兵力の加減が甘かったのだろう。
 何にしても、この状態で攻め込まれれば負けは見えている。
 リーフは、自分の旗の下に集った兵士たちに、城の放棄とゲリラ戦への回帰を宣言した。せっかく形になったものをまた手放すのは心苦しい限りであるが、レンスター王子であるリーフがそう言うのであれば反論のしようもない。主君に涙ながらに訴えられては応と言うしかなかった。

「ふぅ……」
 兵士たちが転戦の準備に取り掛かった姿を見て、リーフは執務室に戻った。扉を閉めてため息一つ。
 無理もない、皆の願いを背負ってここまで来たのに、自らの手で手放さねばならないのだから、心の傷も深いだろう――と思った近臣は一人もいなかった。この部屋に入ることを許されている者ならば、自分の主君がどういう人物なのか知っているからだ。
 リーフはこの部屋に戻ってくるまでの神妙な面持ちとは対照的な軽いステップを踏んで進み、そして最も高価な自分の椅子に座ると机に両足を投げ出して高笑いを始めた。
「ぎゃはははは、俺様マジ演技派だねー! あいつら完璧に騙されてやんの!」
 決して他人に見せてはならないもの、それは主君の痴態である。
 反乱というものは、従来の統治よりも新しい統治の方に期待できない限り支持は得られない。帝国の圧制に対し、リーフが善政を敷いてくれると言う希望があってこそここまで来れたのだ。そのリーフがこんな人間であると知られれば誰も支持してくれないかも知れない。
「貴様……何度言わせれば分かる! もっと注意してリーフ様らしく行動しろ! どこで誰が見ているか分からんのだぞ!」
「いちいちウルセェんだよ……おいフィン、てめぇ誰に口を聞いているんだ? 何なら窓開けて会話してもいいんだぜ?」
 机を叩くフィンと、行儀悪く足を投げ出したまま指を差して答えるリーフ。
 事情を知っている者にとって、リーフとフィンの不仲は有名である。「貴様」と「てめぇ」で呼び合う主従関係など、ユグドラル広しと言えどもここにしかないだろう。両者とも一般的なイメージと大きくかけ離れているため、リーフの態度と言うよりこの会話そのものが不安の種である。

「……さて、イザークからの友軍ですが、そろそろ進発した頃かと思われます。まずはそれまで耐え凌げるかが勝負の分かれ目でしょう」
 醜い争いに堂々と割って入ったのは、アウグストという名のブラギの司祭である。
 この痩せ細った巨漢は、「絶対にいつか裏切る」とリーフ軍の大半に評された正体不明の怪しい軍師である。生まれついての悪人顔である彼はどうにも信用されたことがなかったようだが、このリーフとは妙に馬が合ったために現在でも側近として仕えている。
「ンなの無問題、ここにいらっしゃるフィン様一人で撃退してくださるから。シグルド軍って凄かったんだろ? その将軍ならブルームの雑魚兵士なんぞポポイのポイでチョチョイのチョイよ」
 シグルド軍の強さについて正確な評価が伝わっていなかった。戦記というものは少なからず誇張表現があるものだし、シグルド軍の強さが一人歩きしている現状ではリーフの嫌味もあながち嘘とは聞こえない。
「それとも何だ? 『私はシグルド軍の将軍ではありましたが、キュアンの小姓なだけの無能者に過ぎませんから一人では勝てません』ってか?」
「貴様ァ!」
「まぁまぁ、ご両人ともそれぐらいで」
 日常茶飯事の喧嘩腰に辟易としながらも、止めないわけにもいかない。
 実態が何であれ、王子であるリーフがいなくては組織が成り立たない。フィンにしてもレンスター有数の大貴族であり、彼の存在を受けての支援も多い。
 世評とは正反対な二人の性格が明るみになれば全てご破算になってしまう危険性が高い以上、喧嘩は避けられなくてもそれ以上の発展は阻止せねばならない。
「フン……やれるだけの事はやってやる、貴様へのペナルティはその後だ」
 リーフはともかく、フィンはボーダーラインというものが分かっているらしく、不機嫌さは取り繕わないものの話を打ち切って部屋を出て行った。
 主君であるキュアンの遺児を盛り立ててのレンスター王国復興――間違いなくフィンの悲願となっているだろう。
 居座るフリージ家の強大さのような困難な状況は時としてモチベーションに繋がるが、このリーフのように理想とかけ離れた取り替えようのない現実を背負い込まねばならない苦悩は酷いものだろう。
 親子であっても、人間単位で言えば他人である。リーフはキュアンのコピーではない。しかし親子であれば面影を始めとして生き写しな部分を期待しても決して罪でも愚かでもない。
 その期待が空振りに終わってもはやどうしようもないことは、フィンや主だった者も承知している。とにかくこの少年はリーフ王子であることを認めた上で担がねばならない粗悪な神輿なのだ。
 レンスターの民と、失われた王家のために――。

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