オイフェの青写真はこうであった。
 ドズル家と手を組み、西のリューベック城を急襲して旗揚げ。次いでそのままノイマン半島に雪崩込んで旧シレジア王国を解放。そしてシレジアで軍備をいったん再編成してからいよいよグランベル帝国に突入するつもりであった。
 この計画の骨子はあくまでドズル家にある。
 戦力の規模はもちろんのことだが、まずイザーク地方を掌握しているドズル家を味方につけることで旗揚げの際の苦労が非常に軽くなる。
 何をやるにも、軌道に乗り出すまでが最も大変である。解放軍としての使命を背負うことになる以上は旗揚げから帝国を脅かす存在になるまで時間をかけるわけにはいかない。ましてや反帝国の切り札とも言えるセリスを旗頭とするのだからそれこそもたついていられないのだ。その面を解消する点で、イザークの支配者であるドズル家を引き込める意味は大きい。
 そして、ドズル家はグランベル帝国六公爵家の一つとして帝国中心部に領地を持っている。
 ドズル領はグランベル六公爵家の中心部に位置しており、ここが反旗を翻すとグランベル本国は南北に分割されることになる。一応、フリージとユングヴィが繋がってはいる。しかしドズル領から西進して森を抜ければここに出ることができるため、ここを通ろうとすれば姿が見えないドズル軍に横腹を突かれる格好になる。つまりドズル領を無視したままこのルートを使うのは現実的ではなく、封じられているも同然であろう。
 そして現在のグランベル帝国は駐留している軍が南に偏っている。
 北側はイード砂漠が行き止まりとなりどうしても手詰まりにならざるを得ないが、南はミレトス地方など内政拡大の余地が大きかった。皇太子ユリウスとの不仲で隠居状態に追い込まれているとは言え、皇帝アルヴィスがシアルフィを居城としているのは南側の活性化に間違いなく一役買っており、治安の意味で軍備もまた然りである。またアグストリア地方に駐留している軍が駆けつけようとしてもグランベル本国の出入り口が南側のユングヴィである。機動部隊の大半はドズル家より南側に位置していたのである。
 一方で北側と言うと、帝都を防衛する近衛騎士団ヴァイスリッターを除けば大規模な部隊は存在しない。まずヴェルトマー家は皇帝直轄領だった上にアイーダが粛清された影響で規模が縮小されている。またフリージ家は北トラキアの玉座を抱えている都合で強力なゲルプリッターも半減している。セリスが旗揚げすれば連鎖的に北トラキアでも大規模な蜂起が発生するだろうし、そうなればフリージ家は援軍を送れなくなる。
 つまりセリスがドズル家を結託して兵を挙げれば、グランベル帝国の総兵力のうち大半を無効化して帝都バーハラに乗り込むことができるわけである。いくら皇帝がバーハラではなくシアルフィにいると言っても、帝都が陥落して"光の皇子"が入城すれば勝負はもう見えている。
 セリスを保護しているイザーク人には、支配者であるドズル家を快く思っていない者が多い。そのイザーク人に世話になっている身から言えば複雑なところであるがドズル家と手を組むのはどうしても必要なのだ。
 
 ところが、オイフェの知らぬところで状況が動き、セリスはドズル家に牙を剥いた。
 オイフェが駆けつけたときにはセリス軍はガネーシャ軍と戦端を開いており、もはや収拾がつかない状況にあった。そしてセリス軍はガネーシャ軍を撃破し、そのままガネーシャ城を奪い取った。初陣としては上々の戦果であったが、オイフェに言わせれば戦う相手を間違えている。
 事こうなれば、ドズル家との関係修復は不可能である。
 直前までダナンと会談していたオイフェ。立ち去った直後のガネーシャ急襲。ダナンにして見れば騙されたと感じ取って当然の展開であろう。
 オイフェがセリスの後見人であるのはダナンもよく知っている。裏を返せば、オイフェ抜きにセリスが行動するとは考えられないのである。となれば、飄々とダナンの元を訪れながら、裏ではセリス挙兵の糸を引いていたと判断するのが妥当であろう。
 正確にはオイフェは潔白なのだが、真実とはその存在を証明しない限り事実とならないのはオイフェも分かっていた。もうどう言い訳してもドズル家との同盟は復活させられないだろう。
 計画を完全に潰された格好となったが、賽はもう投げられてしまった。大幅な修正を強いられることになったとしても、セリスを立てて帝国を打倒する目的は変わりようがない。15年の雌伏は、オイフェに精神的な強さを与えていた。全てはまた初めから組み直しになってしまっても、状況を投げ出したりはしなかった。

「やはり貴方ですか……」
 ガネーシャ城――。
 計画を頓挫したことをいつまでも嘆いてはいられないが、やっておかなければならないことがある。
 自分の影響下にあるはずのセリスを動かしたのは誰なのか、である。
 セリスが独断で行動したとは考えにくい。オイフェから見て、セリスはそういうタイプではなかった。
 後見人として様々な教育を施してきたが、セリスは正直なところあまり出来がいい方ではなかった。能力はさておくとしても、シグルドの子としては彼の温和で暢気な性格がどうしても違和感があった。シグルドが17歳のときどうだったかは知らないが、少なくともセリスが将来的にシグルドのようになれるかとなると極めて難しい。
 案の定、今回のことについて問い正しても、「ラクチェは凄いね」という的外れな回答が返ってきただけであった。現世に執着がないというか、どこか浮世離れした言動は、どう贔屓目に見ても帝国打倒の使命を背負っているようには見えなかった。
 となれば、セリスを操縦できるのは一人しかいない。もともとセリスの周辺には大人が少なかったから、推測は極めて容易である。候補の一人であるシャナンは不在しているから、それこそ一人しか残らない。
「勝手に動かしたのは悪かった。しかし奇襲をかけるならあのタイミングしかなかったものでな。許せ」
 16年前に袂を分かった相手。
 9年前に、王位を捨てて姿を消した相手。
 そして最近になって姿を現して急接近してきた相手。
 ――シレジア王レヴィン。
「ドズル家との同盟は貴方も了承していたことでしょう!」
 シレジア経由で帝都を目指すのであれば、シレジア王国との連携は不可欠である。ドズル家による帝国分断作戦はオイフェの考案であるが、帝国の中心部に位置するドズル公家が潰される前に帝都に攻め入らなければならない以上は、その足がかりとなるシレジア地方での立ち回りが重要になってくる。この戦略を採用したのはレヴィンの再出現と協力関係があってこそであった。シレジア南部を解放するならばシレジア王家の存在は大きい。
 しかしレヴィンはオイフェの計画を破り、セリスを動かしてドズル家を戦端を開いてしまった。失地回復がシレジア王国の悲願であるのならば、計画を無断で変更する理由がまるでない。
「そう言うな。俺だって帝国を倒す算段はしてある。そもそも、最終的な決定権はセリスにあるんだ、俺とお前の口約束なんか意味がないだろう」
「む……」
 詭弁である。
 確かにオイフェはセリスの臣下である以上、主君が決定したことには従わなければならない。
 だがレヴィンはれっきとした一国の王であり、身分的にはセリスと同等である。その国王陛下がわざわざセリスの臣下のふりをして主君の絶対性を説いている。
 自己の意思を持たないセリスを勝手に動かし、主君の絶対性を主張して我が物顔のレヴィン。オイフェにとって、極めて危険な流れであった。
 オイフェは大それた野心は持っていない。今までセリスを独占してきたのは間違いないが、それはセリスの後見人だからであり、自分以外にそれを果たし得る者はいないという自信から来ていた。
 それが、外部の意思によって奪われようとしていた。事を起こす直前に、事を台無しにする行為で――。
「未熟なこの軍が帝国と渡り合えるようになるためには実戦経験が不可欠だ。シグルドが強かったのは大陸の西半分を戦い抜いた経験から来ている。だが俺たちはどうだ? 予定通り事を進めてもシレジア解放だけの場数ではとてもじゃないがアルヴィスには勝てん。いくらドズル家を味方につけて差を埋めても、最後にものを言うのはセリスとアルヴィスの差だ、シグルドですら勝てなかった相手を倒すのだから並大抵の努力じゃひっくり返らんだろ」
「む……」
 舌先三寸ではレヴィンに敵いようがなかった。そもそも積み上げた経験の差が違うし、吟遊詩人としての顔も持つレヴィンと口論となっては勝負にならなかった。
 結局は丸め込まれたオイフェであったが、言葉の裏に秘められた謀の存在を、その饒舌がカモフラージュしていることは看破した。自国の解放を頓挫させてまで何をやりたいのかまでは不明だが、レヴィンは個人の思惑でセリスを操ろうとしているのは明白である。
 オイフェは、自分の軍才に自信があった。
 先人には及びはつかなくとも、シグルドの後継者としてあの軍の再現させる青写真はできていた。シグルド軍指揮官の二世が多く名を連ねるセリス軍であるから、将来性に関しては充分すぎるほどある。セリスが言っていたように、特にアイラの二人の子供たちの剣捌きは若くして大陸最強の感があり、従兄弟にあたるシャナンを超えるのは時間の問題であろう。
 レヴィンの言うように育て上げるには時間と場数が必要ではあるが、軍の計画まで変更するほどではない。いや、たとえ変更された今でも軍を育てれば帝国打倒は可能である。
 だがそれは全て、軍の運営を一手に引き受けての話である。レヴィンはシグルド軍の指揮官の一人であり、オイフェにとっても良き助言者となってくれればこの上なくありがたい。しかし軍目付としてではなく、別の意図があってセリス軍に介入しようとするのであればオイフェにとって邪魔なだけである。
「それでだ、とっておきの戦力を連れてきたぞ。おーい」
 オイフェの警戒心を読み取ってのものか、レヴィンは別室に合図を送った。
「なっ……!」
 姿を現した少女を一目見ただけで、オイフェの思考能力はストップした。それぐらい衝撃的な人物が入ってきたのだ。
「紹介しよう、俺の養女のユリアだ。"芸"も一通り仕込んであるからセリス軍の一員として立派に働いてくれるぜ」
 母親の顔を知っていれば、ユリアに誰の面影を見るのか嫌でも分かる。だがそれが分かれば、ガネーシャ城にいるはずがない人物なのにも気付かされる。 
 ディアドラに生き写しで名前がユリアとなれば、該当する人物は帝国皇女ユリアしか存在しない。9年前から公の場に姿を見せなくなり、死亡説や失踪説が流れているのは聞いていたが、まさかレヴィンの養女となっていたとは予想だにしなかった。
「ユリア、こちらがオイフェ。セリスの後見人で軍の全権を担う最重要人物だ。仲良くしておいて損はないぞ」
「はい……不束者ですが、以後よろしくお願いいたします……」
 衝撃が頭を渦巻いて、思考が形を成さずに流されていく。
 帝国を打倒した後ならばまだしも、旗揚げ前のセリスを操っても得など何もない。その上に、セリスの妹であり皇帝の娘であるユリアまで手元に引き込んだレヴィン。9年前のバーハラで会った無気力なレヴィンはどこにもなく、シレジア内戦の頃の冷淡さの延長線上にあるような、謀主の顔をした古い知人。

 よろよろと、部屋を後にする。
 大きくなりすぎた状況は、オイフェの脳内で飽和状態に陥っていた。
 戦いの理由は、始めた者にしか分からない。
 かつてのシグルドも、バーハラ王家の血を引くディアドラを奪取するためにヴェルダンへ侵入した。その仕込みのためにイザーク遠征が起こされた。最終的には頓挫したものの、長い間、他の諸侯はシアルフィ家に振り回されることになった。先に動くことによるアドバンテージは、その時間差の数十倍にもなる。
 今回、戦いを始めたのはレヴィンで、オイフェは思いかけず振り回される立場を強いられることになった。
 自分が舵取りをしていれば、帝国に勝つ自信はある。しかし振り回されて立て直すまでの時間が過ぎた後、その自信は変わらないでいられるだろうか? 今の自信はあくまで現状のものでしかなく、レヴィンによって何もかもが滅茶苦茶にされてから巻き返す自信とは全くの別物である。
「セリス様……」
 頼みの綱はセリスしかない。
 主君ではあっても今まで被教育者であったセリスは、オイフェを突っぱねたことがなかった。
 良く言えば物分かりが良く、悪意のある言い方をすればオイフェの言いなりであったセリス。
 その彼が、この段階に来て何を思ってレヴィンの意見を採用したのか、そしてオイフェの戦略を踏みにじったのか。
 レヴィンの詭弁の通り、最終的な決定権はセリスにある。オイフェとレヴィンが対立していて相手を懐柔できないとしても、セリスを抑えれば"臣下"も従わなければならない。オイフェがレヴィンから軍の指揮権を奪回するためには、セリスを動かすしかないのだ。
 明日からのために、次代のために、主君には完璧な操り人形になってもらわねばならないのだ。

Next Index