夜。王城の一室のバルコニーから澄んだ音色が風に乗って流れ、東の夜空の中へと溶け込んでいる。
エーディンには楽器演奏の心得はほとんど無い。
だから奏でられた波長は旋律と呼べるものではない。単に聖弓イチイバルの弦を指先で弾いているだけなのだから。
しかし、最高の弓は最高の一弦琴でもある。音楽として成り立たなくとも、演奏者の心情はそのまま音色となった。
それは困惑と不安。

謁見の後、晩餐に招待された。
――バトゥ陛下、お聞きしたい事があります。何故ユングヴィに侵入して多くの血を流させたのですか?
その席でバトゥ王にそう尋ねよう、と意を決していたエーディンであったが、神に仕える身である自分の事を考慮してくれたメニューが続くために、それを口にする事が出来ないままに時は過ぎて行った。配慮を無にしてしまう様な気がしてならなかったからである。
「難しい顔をして、いかが致なされたエーディン殿? やはり蛮族の料理はお口に合いませんでしたかな?」
エーディンは慌てて頭を振った。
「いえ、とても美味しいです」
実際にはそう言う程ではなかった。だが、食文化も食材も差異があるはずなのに、エーディンに出される料理にはグランベル風の味付けがしてあった。エーディンの回答はその気配りに対する謝辞を表したのものだ。
「……バトゥ陛下」
全てのメニューを消化しようとしている。
どれほどの気配りを受けようとも、例えそれを無にしようとも、エーディンは、今、尋ねなければならない。
この晩餐の次にいつ謁見出来るのか分からないのだから。
「バトゥ陛下、お聞きしたい事があります。何故ユングヴィに侵入して多くの血を流させたのですか?」
バトゥ王は気分を害したりはしなかった。ただ、手を付けたばかりのデザートを下げさせただけだった。それから質問に答えた。
「……隠していても始まらぬ故、お話し申そう。……エーディン殿、貴方に三男のジャムカの妻となってもらいたいのだ」

その回答への困惑と不安がこうして音となっている。
――私が……この国の王子の妻に……。
この様な時に、この様な事を考えるのは不自然な筈なのに。本来はバルコニーの向こうの東の夜空を望んで、家族や、故郷や、命を落とした者の事を想わなければならないのに。だが、こうしてイチイバルの弦を弾いていると、別の何かを感じる。音色に困惑と不安以外の、悲しみや寂しさとは違う何かが発せられているのを感じる。
「……?」
バルコニーの下で物音が聞こえた様な気がする。
手を止めて椅子から立ちあがり、バルコニーから顔を出して下を見回した。
満天の星空に照らされた、一人の若い男がこちらを見上げて立っていた。
「君が……エーディン……?」
「えっ……」
驚いた拍子に指先が触れたイチイバルから、泣いているかのような音色が奏でられた。
「貴方は……」
「俺は……ヴェルダン第三王子……ジャムカ」

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