バーハラ城、皇帝執務室――
 ディアドラの死後、帝国は帝室の異変を隠そうとはした。しかしユリアの失踪はまだしも、城内に存在するユリウスの変化についてはどうしようもなかった。
 まだ7歳の幼い皇太子であるが、突如身につけた威厳と風格は常人をはるかに超越していた。母であるディアドラの死を境にしているから、心理的な影響が少なからずあったに違いない――とは周囲の見立てである。その真実はユリウスに暗黒神ロプトウスが宿ったからであるが、そんなものを公表できるはずがない。
 この認識のずれが、皇帝の孤立化を招いた。
 本来、皇帝に限らず組織の長には秘密を共有する腹心がいる。組織の運営上、長の秘密を知っていてなお動けるような信頼できる協力者は不可欠であるからだ。
 アルヴィスがヴェルトマー公爵だった頃、この役を務めたのはアイーダであった。六公爵が互いを牽制し合う現状から抜け出すために、ロプト教会を取り込んで闇の兵とした。当時は発見されれば問答無用で火あぶりだったロプト教徒と手を組んだ事実が漏れれば、ヴェルトマー家は改易を免れなかっただろう。しかしアイーダをはじめとする正規の臣下と、マンフロイ以下のロプト教徒を上手く使い分けて玉座に昇ることに成功した。
 もし、アイーダがロプト教会の存在を認めなかった場合。言い換えれば、アルヴィスがアイーダにも秘密にしてロプト教徒を使った場合、大願は成就できたか。おそらく否であろう。表のアイーダと裏のマンフロイの連携があってこその躍進であろう。
 アルヴィスの抱える事情がアイーダの知る事情と食い違う場合、それに関わる件についてアイーダを使うことができなくなる。右腕を使えないとなれば運営に支障が出るのは当然であるし、避けられたアイーダは不信を抱くことになる。最少人数でいいから、秘密を共有できる臣下は必要不可欠なのである。日常的に信頼していればいるほど。
 ところが、ユリウスが暗黒神ロプトウスの生まれ変わりであり、すでに覚醒してしまったことについてまではアイーダも知らない。これについて知っているのは、アルヴィスとユリウス、亡きディアドラ、そしてマンフロイ以下のロプト教徒と当事者ばかりである。
 ユリウスが覚醒したことで、それを崇めるロプト教会が勢力を増す。当事者しか秘密を共有していないロプト関係の事項が増えてくるということは、当事者以外を使うことができないケースが増えるということになる。傍目には、皇帝がロプト教徒を重用するということになり、その他の者を避けなければならなくなる。
 そして、アルヴィスがユリウスを除けない以上、ロプト教会に敵対する者は運営の面において邪魔になるという図式が出来上がった。
「切るしかないだろう。"あれ"には悪いが」
 皇帝は、帝国の面子と堅牢性を優先した。
 いかなる事情があったとしても、それは帝室内の秘密の話であり、それが外部に漏れない限りは帝国は安泰を保っているように見える。そう見えるということは民衆に安堵感を与え、不穏分子を増長させず、帝国の不沈性を誇示することができて安定する。幽霊と同じで、知覚できなければ存在しないと同義なのだ。
 もしも皇帝が皇太子派(ロプト教会)と衝突すれば政治面の円滑性が失われる。絶対的な権威である帝室内で親子喧嘩など起こればその絶対性は失われ、権威の光によって照らしていた帝国各地に陰りが生じることになる。統治の基本は必ずしも善政ではなく、版図が大きくなれば大きくなるほど威光の重要性が増す。いくら善政を敷いても、善政を敷いていることが帝国全土に行き渡らなければ支持を得られないからだ。情報の伝達が風評とほぼ同一でしかない今の時代では、真実を伝えるのは至難である。人伝いか、吟遊詩人の声か、とにかく真実を伝えようとすると事実に脚色が入ってしまうのは避けようがない。皇帝の威光はそのフィルター部分にあたるのである。これが充分にあれば帝国は磐石であり、失われればあらぬ噂が帝国を闊歩することになりかねない。

 バーハラ城、廊下――
「浅からぬ仲、とは聞いておりましたが……」
「アルヴィスがユリウスを封じられないから諦めが良くなった、という解釈は誤りだぞマンフロイ……ああ、ご苦労」
 城内を警護する騎士は、異様な二人組が通過するのを目撃することになった。
 怪しい者であれば捕らえるのが彼らの役目である。確かに怪しさであれば満点を付けても良さそうな二人組であったが、その片方が皇太子ユリウスである以上は敬礼で見送る以外になかった。ユリウスが低い位置から軽く手を振ってそこを通過する。
 あの事件以来、マンフロイはロプト教会が帝国中枢に陣取ったことを知らしめるためにユリウスと行動を共にすることにしていた。光に影が存在するところならばどこにでも転移することができるマンフロイにとって、自分の足で歩くのは結構な肉体労働ではあったのだが、政権交代をアピールするためにはロプトの法衣を纏った自分を披露するのが最も効果的と踏んだからである。
 ロプト教が皇帝によって公認されたのは帝国騎士にも周知の事実だが、こうしてバーハラ城内を我が物顔で歩き回られることになるとは誰も思わなかった。ユリウスの著しい変化に合わせるかのように側に姿を見せたマンフロイの存在は、周囲に皇太子との密接な繋がりを感じさせないわけにいかなかった。
「いくらロプトウスにファラを抑える力があったとしても、アルヴィスが本気で襲いかかって来れば幼いユリウスの身体では太刀打ちできぬ。器は人間に過ぎないのだからな」
 ユリウスは、一人称に"ユリウス"を用いている。暗黒神ロプトウスと皇太子ユリウスの二面性を抱えているせいか、自分を他人事のように話す。ユリウスの性格が表に出てくることはないようだが、完全に融合したわけではないようだ。
「ユリウスには皇帝の心情は分からぬ。ディアドラはロプトウスを除こうとしたが、アルヴィスにはそれよりも皇帝として重要な事項があるのだろう。さもなくば人間が昔の女を処断するのは忍びなかろうに」
 立場がひっくり返ったアイーダとマンフロイ。つい数日前まではロプト教会は存亡の危機に晒されていたが、ロプトウスが復活した今は怯える心配はない。ただ、ティルフィングを盗んだ罪を着せられている現状だけはどうにかする必要があった。ユリウスがロプトウスであることを知らないだけに、彼女の野望を抑え込むには皇帝の権威が必要だったからである。
 アルヴィスにとって、アイーダに真実を全て打ち明ける選択肢がなかったわけではない。しかし暗黒神ロプトウスの存在を背負いきるには無理があると、長いつきあいのアルヴィスは見立てていた。
 ロプトウスの復活の原因を追究すれば、アルヴィスがディアドラと結婚したことに行き着く。しかしアルヴィスにとってディアドラと結婚しない限りは頂点に君臨することができなかっただけに苦渋の選択と言えた。アイーダにとって主君が玉座に昇ることは至上の喜びではあったろうが、ロプトウス復活と天秤にかけてはさすがに傾きが変わる。六公爵時代に聞かされていればアイーダはアルヴィスを止めただろう。
 今はどうだろうか。ロプトウスは復活し、ロプト教会が席巻するのが目に見えている今、アイーダはその真実を聞かされてどういう反応を示すだろうか。少なくともロプト教会の政敵を続けられなくなることを皇帝が諭せば、アイーダは従うしかないだろう。しかし、そうなればアイーダはアルヴィスの片腕でなくなることを自覚しなければならない。捨てられたことを当事者から聞かされる苦痛に平然としていられるほど人間は強くない。
 腹心が腹心でなくなるのであれば、皇帝にとって秘密を洩らすメリットが存在しなくなる。主の秘密を共有できるのは、代行者として動けるだけの地位にある者だけだ。今のアイーダには全て打ち明けるだけの価値がないのである。
 それこそ、これまでの長い時間と男女の情ぐらいしか理由がない。しかしアルヴィスは皇帝としての立場に固執したため、アイーダには非情を持って接することにしたのである。
「この件はマンフロイ、お前にに任せる。120年ぶりの肩慣らしをしたいのはやまやまだが、皇太子が乱心だと皆に受け取られては"父上"の配慮にも悪かろう」
「はっ……」
 マンフロイは指示を受け取り、アイーダ暗殺に動くべく姿を消した。
 薄気味悪いロプトの法衣が影のように黒く染まり、球体に変化して空間に吸い込まれるように消えて行った様を間近で見た騎士はサレットの中で目を剥いた。
 傍目には分からないはずの驚きを鑑賞しながら、ユリウスは軽く手を振って通過する。
「人は人ゆえに神を越え、神は神ゆえに人を支配することあたわじ……か」
 ロプトの黒い聖書、ユリウスが懐に肌身離さず持ち歩くロプトウスの魔法書。その余白に殴り書きされた謎の文章のうちの一つ。大司教の娘婿にして背教者が、完全な世界を夢見て闇に魅入られて行き着いた境地。
 英雄が死後に神の座に昇るケースがあるように、人間が神の領域にまで高みに達するのは決して不可能ではない。聖剣にシグルドの魂を降ろし、ディアドラの血を贄に捧げまですれば、彼は至高の世界を垣間見ることができてもおかしくはない。
 そして至ったのが、神は完全な世界を構築することはできないと言う、ロプトウス否定の結論であった。
 神の世界に足を踏み入れながら、神が不完全な存在と言い切った主張は、ロプトウスを宿したユリウスには理解できなかった。
 しかし、学ぶべき点、学ばねばならない点もあったことは否定できなかった。
 いかに神によって包括された世界であっても、そのシステムが人間によるものである以上は、人間を支配するには人間以外の手では不都合が生じることになる。違う世界に住む者が下位であっても異次元の住人を支配するのは理解の面で無理があるからだ。逆に言えば、包括される立場の者にとっていかに至高であっても理解不能な存在が君臨しては恩恵を知ることができないのだ。
 人でありながら神、神でありながら人である存在。
 人間にとって最も身近な存在はやはり人間であり、人間にとって最も畏れるのは神である。しかし人間にとって、神は大いなる存在であるがゆえに知覚できず、人間は同じ存在であるがゆえに畏れることができない。
 シグルドが最後の最後に敗れたのは、畏れられ神性を掴んだがゆえに、人を捨てて神の座に登ろうとしたゆえに不完全な存在となってしまったからである。人を失ったがゆえにディアドラの存在がウィークポイントとなってしまったのだ。
 神と人、人と神。完全な世界を構築するためには、この両方が同時に存在しなければならない――と魂の著作は語っていた。
 思い返せば、120年前にナーガによって後れを取った。これを考えればロプトウスは少なくとも単独では完全な存在ではない。さらなる高みを目指すためには、下位である人間を知らなければならないのは奇妙な結論だが。
「ふむ……やはりユリアはこのまま外界に置いておくべきか」
 ロプトウスが表に出る前のユリウスは、もともと二面性があった。ユリウスとユリアである。
 そして今では、神であるロプトウスと、神と人が共存するユリウスと、人であるユリアの三つの存在を兼ね備えていた。
 背教者レィムの結論が正しいのであれば、神と人と、その両方、全てが同時に存在しているこの魂こそが、完全な存在と言えるのではないだろうか。
 ロプトウスは幾万幾億の昼夜を数えたが、人間としてはユリウスとユリアの視点から見た7年間のみである。かつては人間は器としての価値しか見出していなかったために、人としての視点は持ち合わしていない。"人間"ロプトウスの生涯は、ユリウスの代になってから始まったと言えよう。
 幸いにも、ユリアの肉体はバーハラ城から外へ持ち去られた。皇女として城の中で一生を送る毎日と比べれば、人間として見聞できる質と量は天地の開きがある。
 暗黒神ロプトウスとして、ロプト教会の祭祀を受けて世界を包括する。
 皇太子ユリウスとして、魂に神を宿し、皇帝の子として人を支配する。
 人間ユリアとして、多くのものを見聞し、人の営みを知り、心の明暗を映す。
――この3つが上手く成り立てば、完全な存在となりえるはずである。

 光あるところ、闇が生まれる。
 皇帝アルヴィスの輝かしい親政の影には、やはり表には現れないものがあった。
 完全な世界を夢見、神の域に達するために無限の広さを誇る内なる心の闇に自ら没した一人の男。彼が表舞台に姿を見せることはないだろう。
 見えないものは存在しない。彼の行動は間違いなく帝国を揺るがしたのだが、存在しないものに揺るがされた帝国は、何もないところで躓いた恥を取り繕うために嘘を重ねることになった。国家が人によって作られるものであるならば、帝国もまた人間と同じように呼吸して反応を見せるのだ。
 その後のグランベル帝国は、ロプト教の躍進に比例するかのように変化を見せた。揺れた帝国は慌てて傾きを戻そうとせず、傾いたまま自然な素振りを見せるようにしたのだ。
 刑罰に厳しいものの平穏と安寧をもたらせていた帝国の統治は、民にとって次第に理不尽な製作が増え、各地にロプト教会が建てられるたびに悲劇の種が撒かれて芽吹いて行った。
 しかし、この流れを止めようとする動きはなく、帝国軍は皇帝の命令と威光に従って各地の反乱を叩き潰して回っていた。
 絶望に打ちひしがれた民は、新たな世界を求め始めていた。グランベル帝国を悪だとするならば、旧体制のグランベル王国への復古を光と定めた。バーハラ王女だったディアドラの最初の子、セリスを"光の皇子"と呼び、世界の変革の願いを託した。
 一方で……帝国統治社会による、ロプト教の躍進と苛烈を極める治安維持。 皇帝を窺い知ることはできない帝国民は、真実に反して皇帝アルヴィスに暗黒神ロプトウスの影を感じつつあった。

(第九章 完)
(反・聖戦の系譜 第二部 完)